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着物にこもった思いを読み解く、思いを託す【加門七海『着物憑き』読後感想】

運命的な出会い『着物憑き』を購入した時のこと

加門七海先生の著書『着物憑き』を読みました。

実は、この本を買う時のことが印象的で、本の内容もさることながら、購入のいきさつも含めて好きな本。

商業施設内に位置する本屋にふらりと立ち寄ったのが、そもそもの始まりでした。

その日は本を買う予定ではなかったのだけど、ちょうど通り道の近くに本屋があったから、うっかり入ってしまったのです。

「本は出会いだ」と思っている私が、手ぶらで本屋から出られることの方が珍しい。

案の定、『着物憑き』を手に取ってしまったわけですから。

本当に、本と目が合ってしまったのです。

エッセイの棚を覗いたわけですらなかった。

私はただ、漠然と本を眺めたくて、本屋の入口付近をうろうろしていたのです。

そうしたらファッション系のフェア台に、この『着物憑き』が置かれていました。

フェア台は、おそらく流行のもの+書店員さんイチオシの商品を並べるところ。

その書店はファッション誌に混ざって着物雑誌が2~3種類取り扱われているところで、「着物文化を大事にしてる店だな」とは以前から思っていました。

もしかしたら、店員さんの中にも着物好きがいるのかもしれませんね。

私は顔も名前も分からない店員さんのおすすめに触れて、『着物憑き』と目が合ってしまったのです。

本は出会いだ。

『着物憑き』が「私、面白いですよ」「今が貴女にとっての読み時ですよ」と伝えてくる。

一応、通りすぎようと試みましたが足が動かず、次の瞬間には『着物憑き』を一冊とってレジへ。

書店員さんにしてやられた、気持ちの良い敗北感は爽やかでした。

私は着物も好きだけど、それ以上に本に憑りつかれているのかもしれません(笑)。

着物に人の思いがこもりやすい理由

人の手から手へ渡ってきたもの、過去から数十年、数百年と扱われてきたもの。

骨董品に思いがこもるというのは、古今東西よく聞く話です。

そして『着物憑き』では特に、着物――長着(一番上に着る、振袖や小紋など)や帯に思いがこもると書かれています。

加門七海先生には負けますが、私も多少は物の持つエネルギーに敏感なので、物によってまとう空気が違っていることは感じ取れます。

確かに帯締めより、襦袢より、長着や帯は「何か」をまとっている気がする。

一体、どうしてなのか。

その答えとしてぜひ読んでほしいと思うのは、『着物憑き』103ページから始まる『糸』。

この話を読み進めていくうちに、私の漠然とした「どうして?」は、「なるほどね」という納得に変わっていったのです。

私も刺繍などで布と糸と触れ合うことがあり、その時一緒に縫い込むエネルギーを大事にしています。

縫っている間はネガティブな情報を入れないとか、聞いていて楽しくなるYouTubeを流しておくとか。

「なんとなく」の感覚が、自分以外の人によって裏付けられた気がしました。

着物の楽しみ方は人それぞれで良い!

『着物憑き』に記される怪異と同じくらい、加門七海先生の、着物関連の知識の多さに感服するばかりです。

特に『帯』の章をはじめとした後半は、着物の知識が多く登場して、「なんでも鑑定団」を観ているかのよう。

もちろん、知識があればあるほど品質の良さや違いに気づけて楽しいだろうし、あって邪魔にならないでしょう。

同時に本文中で繰り返し言及されているのは、着物文化を楽しむ視点の多様性です。

いろんなスタイルがあって良いし、着物を着るからって知識をつけなければならないわけでもない。

着物に詳しそうな人がそう書いてくれているのを読んで、私は肩の荷が下りるような気がしました。

もちろん、知識はあって邪魔になりません。

知っているからこそ楽しめる方法もあると思います。

ただ、「詳しくないといけないのでは」という先入観が、着物への敷居をますます高くしているのも事実。

実際、私はそれにひるんでいました。

正しく着れないと、誰かに批判されるんじゃないか。

「そんなことも知らないのか」と言われるんじゃないか。

そんな風に思ってしまって、「着物が好き」と言うことすら憚られる気がしていたのです。

だからまず着物教室に少し通って、知識と技術をきちんと習おうと思った部分も大きいです。最低限知っておけば、多少の知識マウントに対抗できるかな、って(笑)。

もちろん、上には上がいるし、知識の深さを競い合ったらきりがないのは承知です。

追求したら学者になれてしまいそう。

とはいえ、着物教室に通うのもタダではないし、学費相当のお金を持ってアンティーク着物を見に行ったら、必要なものが一揃い買えるかもしれません。

なんとなく感じる敷居の高さ、「ものすごくお金がかかる気がする」という先入観が、「着物は好きだけど、なんか(周りにいる人間が)怖い」という気持ちを生み出すのではないでしょうか。

着物はもっと自由で良いし、もっと自由に着たい。

心の奥で持っていた気持ちを後押ししてもらえたようで、とても元気が出ました。

本そのもののデザインについて

最後に、本そのものの話を少し。

最初に『着物憑き』を手に取って開いた時、カバーの手触りを「布っぽいな」と感じました。

書名の通り、着物を手に取っているかのような。

読み進めているうちに、新たな可能性に至りました。

もしかしてこの本自体が、着物を想定して作られているのでは……?

具体的に言うと、この『着物憑き』は着物の長着を想定して作られているように感じます。

カバーが、長着の表。

表紙をめくると、鮮やかなオレンジ色の見返しが目を引きます。

帯も同じ色ですね。

この鮮やかなオレンジ色は、袷仕立の長着につける八掛を表現した色ではないでしょうか?

八掛とは、服の裏地のようなもの。

着物が風にはためいた時や、階段を上る時に少し見える場合があるので、決しておろそかにできない部分だと、私は捉えています。

八掛の色を考慮して、帯を買ったことがあるくらいです。(着物の楽しみ方を規定するものではありません)

よく見れば、見返しと同じ色が、表紙に書かれた書名の「憑」の字にも使われています。

このグラデーションの感じ、「着物に憑りつかれて、だんだん染まっていく」ことの暗示としてもとれるし、帯締めのグラデーションにも見えそうです。

ちなみに、カバーを取ると本体表紙にも素敵なデザインが施されているため、本体は襦袢を表現しているのかもしれません。

読み終えた後も想像が膨らむ一冊です。


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