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ナナミンが「子供を守る大人」であることにこだわる理由【「呪術廻戦」考察】

ナナミン初登場時、彼は「子供を守るのが大人の義務」として、虎杖を庇ったり励ましたりする場面が見られました。

少年漫画って10代の少年少女が活躍する必要があるので、大人って邪魔者か見守り役程度の描かれ方をせざるをえないことが多いですよね。

少年少女が活躍する物語に触れて育ってきた我々は、「大人は助けてくれない」「分かってくれない」「守ってくれない」と思ってしまいがちではありますが……。

ナナミンの姿が、大人に近づいてきた我々の新しい指針になりそうです。


そんなナナミンも、(大人びた風体ではありますが)なんとまだ28歳くらいだそう。
世の中には「もっと大人」な年齢の人がごろごろいる年齢に過ぎません。もちろん呪術界では十分に大人の範囲かもしれませんが。

ナナミンはなぜ「大人である」こと、「大人は子供を守るものだ」ということにこだわって行動しているのでしょう。


これは、彼の学生時代の出来事に由来する価値観だと考えています。

学友が亡くなったこと。夏油が呪詛師になったこと。

呪術師をやっていれば、自分を含めた誰かの死と無縁でいることはもちろんできないでしょう。

ただし学友の死に接した時、ナナミンを慰めてくれる「大人」が誰もいなかったのではないでしょうか。

死が当たり前になってしまった呪術師たちは、少し歪んだ生死の価値観を持たざるをえなくなっているのかもしれません。

現に「玉懐・玉折」では、天内の死に関連して思い悩む夏油に対して九十九が「天元は安定している」と慰めの言葉をかけていました。

(おそらく)初めて人を亡くした10代の少年が悩んでいたのは、きっと「そこ」ではなかったはずなのに。


けれどあの時周囲にいた大人たちだけを責めることもできないと思います。

生死がすぐそばにあるところでは、価値観を歪ませなければ自分を保つことができないこともままあるからです。
それは「日常」に戻ってきた時に初めて気づく種類のものかもしれませんけれど。

戦争から戻った兵士が何年も後までトラウマ障害に苦しむのは、知らず知らずのうちに負ってしまった価値観のズレに起因するものだと思います。
呪術師たちも似たものを負っているのでしょう。

けれど当時学生だった夏油やナナミンたちは、まだ価値観が歪んでいなかった。

だからこそ周囲の価値観と自分の感じるものをすり合わせようとする中で、「もう五条さんだけでいいんじゃないですか」というつぶやきが漏れたり、呪詛師に転じたりしてしまった。


学友の死と先輩の転落、そこに加えて大人からの心理的ケアが欠けていたこと。

ここからナナミンは「呪術師はクソ」という持論を持つに至ったのではないでしょうか。まあ労働もクソだったんですけど。

ナナミンはその「クソ」に染まることを善しとせず、自分の価値観を持って呪術師をやっています。その価値観こそが「大人は子供を守るもの」なのでしょう。

ナナミンは自分がかつて必要としていたケアを、虎杖はじめ今の子供たちに与えようとしているのです。

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