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まだ変革に間に合う【『イギリスと日本』】

先日、面白い新書を読みました。

森嶋通夫先生の著書「イギリスと日本 ―その教育と経済―」という本です。

初版は77年という歴史ある本ですが、現代でも読む価値は充分にあります。

むしろ、読み終えた今は切なさすら感じます。

森嶋先生が提案する大胆な教育改革が当時から推し進められてさえいれば、現代の諸問題は違う様相を呈していたと思うからです。

印象的な部分を、少し引用してみます。

前に、現代は国際的な規模での明治維新前夜であると申しましたが、この認識が正しいなら、国家は国際的に活躍できるような次の世代の妖精に責任をもたなければなりません。
独立心のある人間をつくること、ざこ寝のできる人間でなく、ひとりぼっちになっても耐えていける人間をつくることを目標にしなければなりません。
(197ページより)

「グローバル化」という言葉すら使われていませんが、内容としては「グローバル化」と非常に似ています。

この時から、世界規模の視野を持って活動することの重要さが述べられていたのです。

本の中で森嶋先生は、教育体制、特に高等教育 (高校と大学) のあり方を変化させることで、日本の諸問題が改善に向かっていくことを指摘しています。

本文を読んでいると、「確かにそうだ」と頷かされるところが多くあり、新たな視点を手に入れた気がしました。

副題にもある通り、「教育」「経済」という2つの観点を絡めて書かれています。
この2つの分野について、これほどまでに関連性があるとは思いもよりませんでした。

とはいえ、考えてみれば当然のことです。

高校と大学を終えた人たちが社会に出て働きはじめる。
それが毎年繰り返される。

そうやって世代交代がゆるやかに進んでいくからです。

もう1つ印象的だったのは、太平洋戦争と貿易戦争の関連です。

森嶋先生は徴兵された兵士として、太平洋戦争を経験された方のよう。
本文中の随所に戦時中や戦後の体験が引かれていますが、重要な効果を発揮しています。

言葉に重みが出るのです。

「せんそう」という言葉に、体験と実感、当時感じたことの重みがこもっていて、紙の上の文字や音声だけではない。

それが読み手をますます引き込みます。

太平洋戦争では、日本人は武器を手に戦いました。

そして懸念される貿易戦争では、武器をとらずに諸外国と向き合うことになります。

現代では「貿易摩擦」と呼ばれるバランスの問題では、滅多に武器が登場することはありません。

けれど武器を使う戦争と原理は一緒で、国の存亡がかかっているから必死に輸出入の規制や管理をしようとする……。

目を開かされる指摘でした。

個人的には、これを読んだことで、「やっぱり大学に行かなくて良かったな」と思いました。

もちろん、大学が悪いとは思いません。

けれど現在の、「就職活動で有利になるために、有名大学に進みたい」という風潮の中では、きっと息苦しくなっていたと思うのです。

それよりも興味のある分野の知見を深めるために、普通に学問をやるために、学びの場として大学を活用できたらなと思いました。

80代の男女が「戦時中、行けなかったから」「新しいことを学びたいから」という動機で通うような、ヨーロッパ式の大学の方が向いているのかもしれません。

少なくとも、現行のシステムでは私の動機が続かなかっただろうな、と考えたりしました。

森嶋先生の古風な文章運び (~であります) などは、読み慣れるまでに多少時間がかかりますが、読んで損はない、むしろ多くの人に広まるといいな、と思った本です。

最後にもう1カ所、私が大きく頷かされた部分を引用させていただきます。

このように単線体系で短い完成教育が不可能なら、無理矢理にも全員が、長い一本道を歩まねばなりません。その結果、気狂いじみた受験競争が生じ、勉強嫌いの子どもは、長途の旅を強要されるばかりか、その期間中、お前は出来の悪い人間だという判定を、何度もくり返し聞かされます。このことは深刻です。人生が七〇年として、その最初の三分の一をすっかり灰色に染めぬかれた人に、自信や誇りや尊厳があるでしょうか。
(中略)
もともとちがっているものを無理矢理に無差別に取り扱って、新しい差別をつくり出しているのです。


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