創作キャラクターと自分の境界線【繊細さん流小説の書き方】
こんにちは。Jessieです。
自分の心から生まれてきたキャラクターは、可愛いし、大事。
だから親みたいな心で、「末永く幸せに暮らしてほしい」と願ってしまいます。
けれど、それでは「面白い小説」を書くことはできない。
主人公には絶えず問題が降りかかり、内外からの課題が与えられ、それらを解決しなくてはなりません。
私はいつからか、これに葛藤を覚えるようになっていました。
できれば、彼らに傷ついて欲しくない。
でも、読んだ人に「面白かった」と思ってもらえるような話も書きたい。
葛藤の解決は、ある気づきがきっかけでした。
そもそも私は、強めの共感力を持っているよう。
知り合いが手術した話や、お医者さんのつれない態度を聞いていると、自分が苦しくなるほどです。
(詳しくは下の記事に書いてあります)
以来、人の話を聞く時は「これは、相手の体験したこと。私がその場に居合わせているわけでも、体験したわけでもない」と言い聞かせています。
かなり楽になりました。
ある日、ふと「小説のキャラクターに対しても同じなんじゃないか」と思いついたのです。
特に自分が書く小説の登場人物たちは、著者の分身的な側面も持ち合わせています。
自分と似た部分、自分の一部を少しずつ持っている人たち。
自分で作ったから、「自分と同じものを持っている」とはっきり理解している人たち。
そんな彼らの身に災厄がふりかかることを、自分と切り離して考えるのがすごく難しかったのです。
でも、気づいてしまうとすっきりしました。
むしろ、私が一緒になって動揺していてもしょうがない。
私は書き手であり、登場人物たちを幸せな結末へ連れて行く必要があります。
それに、自分と似た部分を持っていても、登場人物はそのままの自分ではないのです。
自分ととってもよく似た、他人。
だから、息が詰まるような展開に飲み込まれた時、登場人物がどう動くか分からなくなってしまったら、考えるべきは「この登場人物は、どうするだろうか?」
決して「自分なら、こういう時どうするだろうか?」ではありません。
自分なら足がすくんで硬直するような場面でも、登場人物は自ら脱出に動くかもしれない。
彼/彼女の性格を考えて、相手目線で考える。
簡単なようで、私には難しいことでした。
今でも忘れがちになることがあるけど、これから慣れていければいいな。
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