見出し画像

「ミニマリズムとシェアリング」は可能性の分岐点だったのではないか

Twitterのタイムラインに、こういう投稿が流れて通り過ぎていった。

シェアリングの概念って平和という土台の上に成り立っていたもので、戦争で物価も高くなったこれからは「自分が必要なモノを持っている」ことが重要になっていく。ミニマリストの対極。
これからの時代、最も世話が焼けるのはミニマリストの人たちだ。
(内容はだいたいで、文章は正確なものではありません)

続くリプ欄には「ミニマリズムの流行からすでに仕組まれていたこと」のような陰謀論めいた意見や、
「『断捨離』って仏教用語である原義は『モノへの執着を減らすこと』であり『モノを捨てること・減らすこと』ではないよ」という解説も並んでいた。


ここからは上の投稿を目にして、僕なりに考えたこと。

片づけへの注目、ミニマリズムの流行、『断捨離』ブーム。

あれらのムーブメントは、世界が進んでいく道のりの分岐点だったのではないだろうか。

僕の大好きなミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』には「街全体を自分の部屋だと考える」という考え方が紹介されていた。
『ニートの歩き方』の中で、phaさんも同じようなことを言っていたような気がする。

服屋はクローゼット、図書館は本棚、スーパーは冷蔵庫……というように。

これはシェアリングの概念とも通じる考え方だと感じている。
「家」というプライベート空間から一歩外に出れば、そこはもう「公」の空間だ。

その公の空間を、本来プライベートであるはずの「部屋の一部」と考える。その時「私」と「公」はゆるやかに混ざり合い、これまで確固としていた境界があいまいになっていくのではないだろうか。

自転車を、家具を、服を……モノを誰かとシェアリングするというのは、この「私」と「公」の部分的融合なしには実現しえない。

そしてモノをシェアリングしながら快適に暮らすためには、シェアリングできるインフラが整っていることもまた必要だ。

シェアリングが円滑にできるシステムだったり、必要な時に必要なモノに手が届く仕組みが敷かれていること。

それは徒歩圏内の図書館とか、品物でいっぱいのスーパーとか、オシャレな服を扱う小売店とか。
つまり社会システムが正常に、恒常的に機能していることが条件だった。


しかし現在、戦争と長く続く貧困によって、これらの安定したシステムは確かに危機に瀕している。

戦争は分断をあおる出来事だ。国の対立が地域の対立になり、いつしか人の対立になって人間の意識に根を張っていく。

不安定な環境になれば、必要なモノを「公」に頼るわけにはいかなくなっていく。
もしみんなが同時にひとつのものを必要としたら、必ず「手に入れられなかった人」が出てしまう。

不安定な時代になれば、「自分で自分のモノを持っていること」が大切になるのは自然な成り行きだ。


ここで話が一巡する。では、あのミニマリズムの流行は一体なんだったのか。
僕が分岐点だと言ったのは、まさにこの分断に理由がある。

シェアリングをするためには、社会がゆるく繋がっていなければならない。
分断し、戦争などしてはいけないのだ。

確かに片付け、ミニマリズム、断捨離は大きな流行になった。大勢の人の家がすっきりしたことだろう。
だが、もしも、もっともっとあの流行が大きな波になっていたら。もっと早くに世界を巻き込んでいたら。

シェアの概念はもっと広がり、公私の境界があいまいになった「ゆるい」つながりがたくさん生まれていたかもしれない。
つながりを求める人のところに、シェアの仕組みを提供するシステムが生まれ、つながりがもっと加速されていたかもしれない。

そうしたら「シェアすることが当たり前」の社会が誕生し、分断をあおる戦争など、とても考えられないという風潮が生まれていたかもしれない。


これらはすべて、可能性の話だ。

現実には分断が起きてしまい、僕たちは貧しくなり続ける国に住んでいる。


つながっていること、シェアすることが「所有すること」を必須ではなくさせる。「手放す」ことを可能にする仕組みなら、
争うこと、分断はより多くのモノを必要とさせ、人の持ち物を増やす。「握りしめ」させる。


『神との対話』という本には、こんな記述がある。

不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。
愛は広がり、開放し、送り出し、とどまり、明るみにだ出し、分けあい、癒すエネルギーである。

ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話』

人類はこのあいだ分岐点に立った時、不安を選択したのだと思う。




文責:賢也

読んでくださりありがとうございます。良い記事だな、役に立ったなと思ったら、ぜひサポートしていただけると喜びます。 いただいたサポートは書き続けていくための軍資金等として大切に使わせていただきます。