ペンケースの2つ使いがやめられない理由【ときめくものは堂々ととっておけ】
僕たちの部屋には、ペンケースがふたつある。
そのうちひとつは、高校生の時に買った赤い帆布のもの。
最初はぱきっとしたたたずまいだったものが、何年も使い、汚れた時には優しく手洗いするうちにくったりとしてきて、なんともいえないいい手触りになっている。
もうひとつは、誕生日プレゼントとしてもらった本革のもの。
以前から「かっこいい大人」が持っていそうな、筆記具が2本か3本しか入らないような細身のペンケースに憧れていた。
その憧れを叶えたくて手に入れたもの。
今は万年筆や愛用のボールペンなど、よく使うものを入れてメインのペンケースとして使っている。
では、なぜ赤い帆布の方もとっておいているのか。
僕はミニマリストに憧れていて、こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」をはじめ、いろいろな本を読み、モノを減らしてきた。
こんまりさんのメソッドによれば、大量のストックや用途の重なるものは手放すことが多いようである。
僕はさらに進んで「余白の多い部屋」にも憧れているので、何度か赤い帆布のペンケースを手放すことを検討してきた。
ところが検討するだけで、いつも実行はできずに来た。
なぜか。
どうしてもときめくからだ。
「余白の多い部屋」への憧れはあれど、目の前のときめく品物を手放す理由にはどうしてもならない。
このくったりした質感や、これを大切にしてきた年数は、ペンケースを手放したら取り戻せないものだからだ。
それにこんまりさんも「ときめくものは堂々ととっておけばいい」と言っている。
だから決心がつかず、ずるずるとペンケースの(謎めいた)2つ使いを継続してきた。
最近、まったく系統の違う2つのペンケースをどちらも気に入っている理由が分かった。
これらを気に入っている「パーツ」がそれぞれいるからだ。
赤い帆布のペンケースを気に入っているのは、どうやら「パニック少年」らしい。
「パニック少年」は優しい手触りのものが好きだから、くったりした質感に触れるたびほっと心がゆるむのだろう。
一方の本革のペンケースは、どうやら「監理者」の持ち物だった。
ビジネス書を愛読し、高級筆記具売り場がお気に入りの彼にとって、細身のペンケースとスタイリッシュな文房具が憧れだったのは頷ける。
どちらも僕たちにとって大事な人たちだ。
僕は赤い帆布のペンケースを捨てなくて良かったと思った。
あやうく「パーツ」のひとりの感性を無視するところだった。
断捨離に熱中していた頃は「どうして、これにこんなにときめくんだろう」と不思議でならなかったが、「ときめくものは堂々ととっておく」ことを実行して間違いではなかったのだ。こんまりさんはすごい。
今、僕たちの部屋には、「パーツ」ごとの大切なものがあふれている。
日によって、あるいは表に出ているパーツによっては「どうでもいい」「興味がない」と感じるものもあるけれど、他のパーツの大切なものだということが分かっているので、むやみに断捨離しようとしたり、捨てられない自分を責めたりすることがなくなった。
ときめきは時に不可解だ。
そもそも「心の声を聞く」「直感を信じる」などのメッセージが発せられて久しいが、目に見えないもの、根拠のないものに従うことは、理性偏重で生きてきた人類にとって難しいことなのかもしれない。
けれどその不可解の理由に、何年も経ってから気づくこともあるかもしれない。
これからも直感(ときめき)を無視しないようにしていきたいと思った。
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