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「本を読む」という時に本当に読んでいるものーー物語とエネルギー【読書は自由でいい】

さながら主食のように本を貪り読むこと十数年。もはや読書のない人生なんて考えられない。

……が、「これ、良い本だったよ」と人と話すとき、されるとうっと言葉に詰まってしまう質問がひとつある。

「この本の中で、心に残った言葉ってなに?」だ。


実は文字を読んでいて、読んでいない

人間は言語を操り世界を理解する能力を手に入れたが、よく考えれば言葉は完璧ではないし、ただの道具にすぎない。いわばラベルだ。

ラベルを貼るから対象が理解できるようになることもあるけれど、ラベルは対象そのものではない。

もちろん「読む」ために「読む」こともあるけれど(本読みたいなぁと思って本を開いたり、ごはん中にソースの成分表示を読んでしまったり)、読書という営みの中には文字ではないところを読み取り記憶するからこそ印象に残る面があると思う。
だからこそ「心に残った言葉」がパッと出てこないのだ。決して目が滑っていたわけではないのだけれど。

では、一体何を読んでいるのか。


物語

僕は物語に触れるとき、さながら映画のように想像的視界の中に潜ってしまう。
仮に文章の中で「穏やかな風の吹く広い草原」が描写されているとしたら、僕は読後、その情景だけを記憶している。どういう言葉で、草原が描写されていたかはよく思い出せない。
代わりに物語の展開や、そよ風が草を擦らせるさわさわという音や緑色の濃淡だけが、自分独自の物語体験として鮮明に思い出される。

エネルギー

「言霊」という単語もあるように、言葉にも固有のエネルギーや、雰囲気や、特定の言葉によって喚起される感情があると思う。
それを得るために読むことも、ある。

社会問題を論じる文章ばかり読んでいると、明確な解決策がなくて暗澹としすぎてしまうこともあるけれど、気持ちを補うようにアクティビストの本を読む、革命する物語を読む……と、「なんとかできるかも」と気持ちが強くなってくる。

リラックスしたいなと思ってエッセイを読むことも、喚起される感情を期待する読書行動のひとつだ。エッセイストたちの素敵な感性に触れることはもちろん、「自分の気持ちが緩むようなエネルギーを持つ言葉に出会う」ことも無意識下の目的となっている。

ここで読む言葉は、やはり特定の「言葉」「フレーズ」としては記憶されない。だからこそやはり「心に残った言葉」として語ることは難しい。
エッセイ全体に流れる雰囲気を享受しているから。それはつまり特定の言葉ではなく言葉の集積を求めて読んでいるのだ。だからこそどこか一箇所が印象に残ることは難しい。


読書は自由でいい

本当か嘘かわからない「読書離れ」という現象が叫ばれて久しいが、離れているかどうかはともかく「読書嫌い」が一定数いるのは事実だと思う。

読むことを嫌いになる要因として、学校教育の働きは大きいのではないだろうか。
みんなの前でスラスラ音読できなかったこと。
読書感想文がうまく書けなかったこと。
「筆者の気持ちを答えよ」にいつも正解できないこと。

そのような、決して快くはないだろう体験が「読む」という行為と結びついて記憶されてしまって、「自分は読むことが苦手だ」「読むことは楽しくない」と認識されるのというのも、ありそうだなと思う。

学校で体験する「読む」はプレッシャーが大きい。読んだら読みっぱなしにすることが、あの空間では許されていない。何かを読んだからには筆者の気持ちを考えないといけなかったり、なんらかの良さそうな感想を抱いて原稿用紙を埋めなければならない。

ふわっとさせておくことーー「まだよく分からないけど、〇〇と思った」「全体として楽しかった」という態度は許容されない。僕は物語やエッセイを綴るのは好きだが、読書感想文だけは良い評価をもらえたことがない。たぶん、読書感想文を書くのに適した読み方をしていないのだろう。知らんけど。

本は学校だけにあるものではないし、何かを読んだからといって必ず高尚なことを考えなければいけないわけではない。実は読書って自由なのだ。
なんらかのポジティブな体験がなければ、それを忘れてしまいやすいのだと思う。この世界は。

好きな時に好きなだけ読める。会場に足を運んで観る映画や演劇と違って、本は読者の裁量がとても大きいメディアだ。そして、それを意図して作られてもいる。

速読しても、積読しても、次の章を読むのが半年後でも。一向に構わない。
同じように、心に残った言葉がひとつも浮かばなくても、構わないのだと思う。

読むことで、読み手はその文章から確かに何かを受け取った。美しい景色か、言葉に宿ったエネルギーか、他の何かを。
それは特定の言葉そのものにではなく、全体を通した「本」というものの中にある。言葉の集積の中にある。わざわざ切り取ってラベルを貼る義務はない。

受け取ったものはその瞬間には自覚できなくても、必ず読み手の心のどこかに残っているものだから。




Jessie -ジェシー-

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