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無駄に物思いに耽させてくる季節こと、秋

急な気温の変化で、心もジェットコースターのように急上昇急降下することがあるらしい。

昔から夏は嫌いで、秋から冬にかけては好きだったはずなのに、年齢を重ねたからか物思いに耽ることが増えてきて、なんだか辛く感じてしまうことも多い今日この頃。

わたしは季節を感じる音楽が好きで、服装が変わると同時に、聴きたい音楽や部屋に面で飾っているレコードも変えたりしている。
それら一連の行動を通して、季節が変わったことを実感する。

ユーミンの「静かなまぼろし」という曲がある

母に教えてもらってからよく聴くようになり、目に浮かぶような情景とハッとさせられる言葉の数々で、“まぼろし”を思い出さずにはいられなくなる名曲。

“まぼろし”の正体は元彼。
その“まぼろし”と偶然同じ空間に居合わせてしまい過去を思い出してもしも…と想像しながらも、今の自分が幸せだということに気付くという歌詞。(この曲、ジュリーへの提供曲とのことだけど、歌詞や歌い回しが若干違っていておもしろいので聴き比べてほしい)

最近、学生の頃に仲が良かった男友達の誕生日に連絡した。もう彼は結婚していて、一年に一度数人で会っていたけれど、ご時世柄もあり、ここ数年は会っていない。
結婚している人への連絡は難しいし、気を使うからものすごく疲れる。
もし仮に、彼の奥さんが見たときにどう感じるかなとか思うと、久しぶりに話したかったことも少しずつ薄れていく。

それに、彼への連絡は、元彼を思い出すという自らを苦しめる行為でもある。
彼と元彼は今でも連絡を取り合うくらいの仲で、彼はわざわざ名前は出さずとも何となく存在を伝えてくる。
だから余計厄介なのだけれど、もう何年も連絡し合っている年越しや誕生日に連絡しないのも逆に不自然で、必ず連絡を取り合ってしまう。
そして、一言二言なんてことない言葉を交わして、やり取りを終える。毎年、その繰り返しなのだ。
本当はもっと聞きたいことや話したいことがあるのに、こうやって人は疎遠になっていくんだな、と感じる。

学生の頃は、一緒にご飯を食べたり、わざわざ家の近くまで行き来して休んだ分のフォローをし合ったり、バイト先にご飯を食べに行ったりした。
初めて友達の車に乗せてもらったのも彼だし、卒業式では「女の子の親友ができて嬉しかった」と書いてある手紙をもらった。
そのまま卒業して社会人になってから何度か出かけたり、プレゼントを渡し合ったりもした。
おそらくお互いの気持ちは最初から恋心ではなかったけれど、色々な場面を思い返して何かの拍子に結ばれていた可能性もあったかもしれないと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。
彼が復縁した相手と結婚したときは、嬉しかった以外の感情は特に生まれなかった気がする。

元彼とは、ほんの数ヶ月しか付き合わなかった。わたしはとても寒かった雪の日にフラれた。
フラれた日には、仲の良かった友達が雪で電車の運行も危うい中、遠くから4人も駆けつけてくれて、慰めてくれたのを覚えている。
別れて7年以上経って、ようやく薄れてきたのに、年に一度のこの連絡によって、また蘇る。そのときの心理状態によっては、勝手に深刻化させて辛くなる。
元彼とはSNSはフォローし合っていないけれど、何となく結婚しているような気がする。
正直顔すら忘れかけている相手に今更どうこう言いたくはないし、ただの想像の話なのに、ただ単に過去の相手と自分を勝手に比べて差を感じることが悔しいのかもしれない。
そんな自分が本当に嫌になるし、気持ち悪くて仕方ない。
好きとか嫌いとかではない、この気持ちは何なんだろう。
もしこれが“未練”だとしたらとても困るな。

でもユーミンは、昔の恋を懐かしく思う理由を、曲の最後に歌っている。

仕事に追われて、休日は昼過ぎまで寝てしまうほど疲れている今。そのストレスを解消するために、好きな服を買ったり、ライブに行くことが生き甲斐で、同世代の友達は次々と同棲、結婚、出産と人生のステップを着実に踏んでいるのに対し、20代後半を無駄にしているかもしれないと感じてしまうことも多いけれど。

今のわたしは幸せなのかもしれない、と思うようにしてみようかな。


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