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今朝の風景


 今日はお休みなので、昨夜夜更かししてしまい、少し遅めに起きる。

 それでもまだ空気は静かで、ひんやりとしていて気持ちよさそう。

 まだ寝ている家族を起こさないように、小さな窓をそっと開けてみる。

 ひんやりとした空気と一緒に虫の声とかそよ風に木の葉が揺れる音が入ってくる。

 空は晴れているけれど、ちょうどお日様の方向に雲があって、時々光を遮ったり、雲の切れ間から強い光が熱を伴って放たれたりしている。

 特に変わったものは何もないけれど、気持ちの良い朝のひと時。

 唯一のモーニングルーティンの白湯を作るため、お水を電気ケトルに入れる。

 スイッチを入れてお湯が沸くまでにちょっとだけSNSを覗く。

 飛び込んできたのは以前読んだ「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」の川内有緒さんが、京都での「まなざす身体」という展示を見に京都に向かうという投稿。

 面白そうだ。

 本も読んで、その後、ラジオで又吉直樹さんの番組で実際に白鳥さんと川内さん、又吉さんがアートを鑑賞する様子を音声だけで聞いて、ああ、こういう世界の広げ方があるのだなあと思ったっけ。

 もしかしたら、音声で聞いているだけの人は作品が見えている人とは全く違ったものを思い描いているかもしれない。

 それでもいいのだと思った。

 見えている人どおしであっても作品から受けるものが違う。それを語り合うことから見えていない白鳥さんが受け取ったものをまた言葉にしていくことによって、その時、共に鑑賞した川内さん、白鳥さん、又吉さんがその時に作り出した世界。

 その世界をラジオを通して音声で聞いている私たち一人一人の中にまたそれぞれの世界が生まれている。

 私だって、その時にラジオの中で鑑賞されていた作品を知らない。だから元の作品とは全然違うものを思い描いていたかもしれないけれど、それはそれでいい。元の作品と同じ形を正確にトレースするための情報収集ではないのだから。

 文章による表現は物理的な音は出ない。映像も見えない。逆に音楽とか歌は聞こえない人には直接の形では伝わらない。

 表現する側は、自分が表現するものをどうやったら伝えられるかと考える。

 でも、一歩進めて「見える」って何?「聞こえる」ってどういうこと?「表現」が伝わるってどういう状態?と考えると、だんだんわからなくなる。

 そんなことを考えながら、自己流白湯(単に沸かしたお湯を少し置いて飲みやすい温度になったら飲むだけ)を一口飲んだ。



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