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安倍晋三記念小学校がモデル     愛国者学園物語を書いたわけ2


 でも、なぜ私が「愛国者学園物語」という「小説」を書いたのか。
それは、日本の保守派や極右イコール日本人至上主義者たちが、愛国心の名の下に子供達を教育し、特定宗教の絶対的賛美や、個人の人権よりも社会の利益を優先するような危険な思想を叩き込むのではないか、そういう気配を感じたからだ。
 

 日本にはかつてそういう時代があった。そう、第二次世界大戦の前と戦争当時である。ここで詳述はしないが、日本はかつて子供達を戦争に駆り立てる、あるいはファシズム国家の一員として育てていたではないか。

そして21世紀の今。神道を信じない人間、靖国神社を参拝しない人間は、日本人ではないというような雰囲気が日本社会にある。それも政府を中心にして、だ。

 例えば、靖国神社参拝問題。毎年、閣僚がここに参拝するかいないかで議論が起きる。しかも、ここに参拝しなければ、まともな人間ではないと言いたげな人々が少なからずいる。例えば、2011年に、極右議員の石原  慎太郎は靖国神社に参拝しない議員に対し「あいつら日本人じゃないんだ」と発言した。それも、「愛国者学園物語」の根底にある。

 それに、日本の国会議員の多くは、神道政治連盟国会議員懇談会の会員であり、与党・自民党の有力議員はみなその会員だ。国会議員707人中の293人が会員なので、約40%ということになる。同連盟のホームページから数字を得た。私は国会議員が宗教心を持つことそのものを問題視はしない。しかし、神道政治連盟という文字通り神道と政治のグループに、議員の4割が参加していることは無視できない事実だ。

 もちろん、そのほかの歴史的事実や出来事からもヒントを得た。ナチスドイツの少年教育組織ヒトラーユーゲント、戦時中の日本の学校、それに最近話題になった、籠池夫妻が創設しようとしたらしい、安倍晋三記念小学校だ。もちろんそれは実現しなかったが、政治家を過度に賛美するような風潮を、私はそのまま「愛国者学園物語」に取り入れた。


小説仕立てにしたわけ
 ではなぜ、小説という形なのか。それには2つ理由がある。一つはノンフィクションのような文体で、未来のことを書くと文中に推量の表現が多くなることを、避けようと思ったこと。
「彼らは国歌を高らかに歌うだろう」
「軍人のような立ち振る舞いをすると思われる」
「神道だけにしか関心がない人間に育つのではないか」
「愛国者学園のような学校は未来の日本で増殖するにちがいない」
 未来のことを推量するのだから、文体がこのような感じになるのは当然なのだが、どうも歯切れが悪い。それに、長文を書けば書くほど、文中に推量表現が増えてしまう。

 そこでこれらを小説風にすれば、余計な表現はなくなるはずだ。
「彼らは国歌を高らかに歌った」
「軍人のような立ち振る舞いをした」
「神道だけにしか関心がない人間に育ったのだ」
「愛国者学園のような学校は未来の日本で増殖した」
これで良い。未来のことを推測する文章として意味は通っているし、見た目もすっきりとした。

続く 

大川光夫です。スキを押してくださった方々、フォロワーになってくれたみなさん、感謝します。もちろん、読んでくださる皆さんにも。