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フカヒレデブ 愛国者学園物語189

 ある日、名古屋近郊の海辺にて。三橋(みつはし)家の女たちが、缶ビールを片手に散歩をしていた。彼女たちの楽しみの一つなのだ。少し離れたところにいる桃子叔母を目で追いながら、美鈴の頭は別のことで一杯だった。

 あの、西田との会談のあと、美鈴は、あることで悩んでいた。それは、「どこまでやるのか?」ということだ。

 今の日本を支配している日本人至上主義とどこまで向き合うのか。何をゴールにして戦うのか、ということだ。それを、あの西田に問われて即答できなかった自分を、美鈴は悔いた。

 だが、これはどうしようもなく難しい問題だった。雑誌の記者である私がいくら記事を書いても、それに染まった日本を「元に戻すこと」は無理だし、それに挑戦するのは誇大妄想狂だけだろう。私に出来ること、それは真実を報道し、疑問を語ることだけなのだ。日本人至上主義への疑問を述べること。私にそれが出来るだろうか……。


 

美鈴は西田の「愚行の総和」を思い出した。


「小さな愚行も、それらを総和すれば、それは社会を破滅させるほどの力を持つ。小さな努力でも、それらを総和すれば、それは社会を破滅から救う力になろう。私が持つ力はあまりに小さい。だが、それを他者の力と合わせれば、それは社会に何かを引き起こす、大きな力になるかもしれない。私はここに立脚する。多くの人と力を合わせ、破滅を回避するために努力するのだ。日本が日の沈む国にならないように」

 

自分の力をホライズンの力と合わせれば、日本人至上主義に囚われた日本を変えられるだろうか? そんなことを考える自分は変だろうか……。



「で、そのフカヒレデブはなんて言ったの?」
 桃子の声が、美鈴を悩み事の泥沼からすくい上げた。美鈴は、あのイヤな女の口ぶりを真似て言った。

 「美鈴、そんなクズを相手にしないでよ。馬鹿みたい。そんな奴の言うことになんの価値があるの? 時間の無駄よ。小鳥が山火事を消すために1滴の水を運ぶなんて、出来の悪いコンサルタントが考えたクソ話みたい。あたしなら、核兵器で吹っ飛ばすわよ。一発でケリがつくわよ。一滴の水で山火事を消そうだなんて、クレイジーよ。こそこそしていて気持ち悪い。そんな甘ったれた方法で世界を変えようなんて、どうかしてる」


桃子は、ぷっと吹き出した。

「結構、言うのね」
「そうよ、あの女は自分のことしか関心のない、自慢話馬鹿だもん」
「それで、フカヒレも大好き?」
「そう。それで、西田さんも私もクレイジーだと言うの」
「クレイジーか」


 美鈴は、また物真似を始めた。

「バタフライ効果だの、愚行の総和だっけ? そんなの、一流メディアであるホライズンにふさわしくないわ。その男のブログ、アクセス数は少ないんでしょ? じゃあ、そいつはインフルエンサーじゃないわ。ランキングの上位に届かないSNSなんてクズよ。美鈴、あんた、クズを漁ってたの……。そんなことを言う奴が、東アジア総局の責任者なのよ」

美鈴は深いため息をついた。


 「フカヒレデブ」こと、東アジア総局長はインド人で、ヒンズー教徒で、ヒンズー語の話者。大学と大学院で中国政治と中国語を専攻したせいか、中国にしか関心がなかった。

 中国系石油会社の広報部門にいた彼女はジェフに声をかけられて、ホライズンに転職した。そして、1年半後。上海政府の大幹部たちに肉薄したことで、彼女の株は暴騰した。彼女はそれで精神的に「舞い上がって」しまい、自身を優れたジャーナリストだと思い込むようになった。

 そして、仕事にのめりこみ、中国政府の内実を探ると称して、政府高官やエリートたちに接待攻勢を繰り返し、彼らからも高価な酒宴に招かれた。だから、彼女は

「私ほど、フカヒレをたくさん食べた人間はいないわ」

と自慢話を繰り返している。サメ類の保護が世界的な問題になっている今、フカヒレはかつてないほど高価になった。自分は、そんな高い食材を相手に食べさせられる、あるいは、相手から振る舞ってもらえる「凄い人間」というわけだ。接待を繰り返すせいか、あっという間に太ったから、彼女のニックネームは「フカヒレデブ」。

 彼女は自分が「高いカースト」の人間であることを自慢して、人を見下すことがあったのだが、それに拍車がかかった。ホライズンで偉くなったフカヒレデブは、中国の一般市民や彼らが抱える問題を取材せず、エリートや政治家だけに目を向けるような人間になっていた……。

 そんな高慢な人間の手下が、ある日、街で美鈴と中年男が真剣な顔で話をしているのを目撃したわけだ。彼は二人の関係を誤解して、それをフカヒレデブに伝えた。そして、彼女はある大きな会議でそれを話題にしたわけだ。もちろん、美鈴は怒ったが。


 

「自分の宝物は、他人にとってはゴミ。他人のゴミは自分の宝物」


桃子が静かに言った。
「なにそれ?」
「三橋桃子作 ゴミと宝物の詩よ」
「へええ、叔母さん、なかなかやるじゃないの」
と言って、美鈴は気がついた。

「なによ、私たちの対話は、他人にとってのゴミなの?」
「あのデブにとってはそうじゃないの。逆に、デブが見向きもしないニュースは、美鈴が好きそうな話なんでしょ?」
「まあ……、そうねえ」

美鈴はビールを飲む叔母の首を見ながら、思った。
(叔母さんの宝物をゴミ扱いした奴がいたのね)


続く
これは小説です。


次回 190話 「傍観者」

美鈴の話を聞いた桃子はどう思ったのか。

そして、彼女の言う傍観者とは?

次回もお楽しみに!

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