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勇ましい愛国少年の作文 愛国者学園物語183

美鈴たちの、愛国心をめぐる対話はまだ半分も終わっていない。

4番目、

「愛国心教育の成績の付け方は? 成績はどう判定するのか?」

これは2種類しかない。一つは、一般的な教科のようにテストをしてその点をつけること。

もう一つは、履修したか否かで合否を決めるやり方だ。

 だが、前者は難しいのではないか。愛国心教育として何を教えるのかにもよるが、どのようなテストをすればいいのだろうか。例えば、自衛隊に関する文章を読んでから、それに関するテストをする場合。穴埋め問題を解いて正解していれば、その数で合否を決めるのか。あるいは、軍事に関する作文をして、その内容の良し悪しで点数を決めるのか。

つまり、数量による採点か、質による採点をすべきなのか。例えば、

「私は敵を@したいです。なぜなら敵を@して国を守ることは素晴らしいことだからです。私は国を守るために素晴らしいことをしたい」

とでも書いて、自分が敵と戦う意志イコール敵を@す意志があることを示せば、良い点数がもらえるのだろうか?


 日本人至上主義者が増えた今の日本では、こういう作文は珍しいものではない。特に愛国者学園の作文は世間の注目を浴びている。


「日本は憲法を改正して、国防軍を持ち、若者は徴兵すべきです。徴兵に反対する人間は犯罪者として刑務所にぶちこむべきです」
とか、
「日本は核武装をすべきです。日本に核兵器があれば、日本は外国から侵略されずにすみます。そして、もし日本を攻撃する国があれば、その国に核兵器を打ち込めばいいのです」

とか、中には、具体的な国の名前を出して、その国の人間を@すべきだなどと、作文を書く子どもまでいる。そして、教師たちはそれに高得点を与えるのだ、愛国者として素晴らしいと評して。

こういう作文は「勇ましい愛国少年の作文」と呼ばれ、最近の日本社会で増えているものだ

。その内容に驚いた教師や保護者たちが、子どもたちにそれを書いた理由を尋ねると、彼らはそれを愛国者学園の存在に触発されて書いたとか、愛国心は必要だからと言い出すのであった。彼らはネット経由で愛国者学園のことを知り、

彼らなりに愛国心に「目覚めた」

のだと言う。このような目覚めた子どもの出現は親や教師を驚愕(きょうがく)させた。そして、子どもの心からその勇ましさというか、愛国心に関する部分を消そうと説得したり命令をするが、ちっとも効果がないのであった。むしろ逆効果で、日本が核武装しないと@@@に日本人が皆@しにされるとか、愛国心は絶対に必要だとか叫んで、周囲の仲間を驚かせる子供たちの存在が報告されている。しかもその数は少なくないのだ。

 一般社会では「勇ましい愛国少年の作文」は嫌われる。それは教育自体が平和主義に基づいているからで、正当防衛目的でも「敵を@すことは素晴らしい」などと言うことは良いことだとはされない。少なくとも教師が許さないだろう。それに、日本が核武装すべきだなどという主張も、教師が認めないはずだ。日本は米国の核攻撃で多くの犠牲者を出したのであり、戦後は平和主義の国として発展したのだから、それに反するようなことは言わない。それが日本社会の「暗黙の了解」ではなかったか。教師も社会もそういうルールに従っていたから、「勇ましい愛国少年の作文」なんていうものは、表向きは存在しなかったのだが、時代が変わったのだ。では、彼らの作文に良い点を与えるのが、これからの教育者の仕事になるのだろうか。


 平和主義の社会の子供とは正反対に、愛国者学園では、子どもたちはみな「目覚めた」子どもだ。だから、みんなで競争をするのだ。私は敵を何人@したいとか、自衛隊に入って尖閣諸島を守りたいなどと、空想じみた話を延々と続けて、それを作文に書くのだから、作文は@生臭いものに、きな臭いものになる。

「私は日本軍の原子力潜水艦の艦長になり、反日勢力をこっぱみじんにしたいです」
「私は海兵隊の上陸部隊を率いて、敵軍を粉砕したいです」
「私は軍人と結婚して銃後の守りを固め、偉大な祖国の国防に協力します」


 それはともかく、これからの日本の教師は、こういう「勇ましい愛国少年の作文」を読んで、それを採点するのが仕事になるのだろうか。もしそうなら、どういう視点で採点をするのか。国防のために敵国の兵士を大量に@したい。教師はそういう作文に良い点を与えるのだろうか? 


続く
これは小説です。

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