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【鬱れぽ】11度の希死念慮を並べる#001

こんにちはジェリーです。

数日前、ふたたび鬱になりました。

ふたたび、と付けましたが、もはや何度目かもわかりません。

せっかくなので、鬱休暇を利用して鬱を振り返ってみます。

※8回目の鬱以降は、あまり人に見せたくない写真や内容なので有料にしてます。どうしても見たい読みたいって方だけどうぞ。

そもそも鬱ってどう認定するもの

そもそも鬱って、正式に診断するものでもないようです。

今まで両手に収まる程度のクリニックを受診してきました。

どちらのお医者すゎんも、明確に「あなたは鬱です」とか、その他病名を告げてくることはありませんでした。

お医者すゎんからすると、そこはどうでもいいようです。

詳しくは『ブラックジャックによろしく』など読んでいただければと思います。

そんなわけなので、今回私が振返る中では、巷で調べれば出てくる鬱診断とか、ストレスチェックとか、そういうものと照らし合わせた結果、あぁあの時この時その時、私は鬱だった、鬱なんだなぁ、というのを判断基準にしております。

ちなみに鬱を調べるとよく出てくる、

鬱になりやすい人の特徴。

真面目で社交的で責任感が強い」

ばっちり当てはまっておりますおつかれさまです私。

※2021年10月23日受診先の医師によると、精神疾患というのは一時点だけでの状態では判断ができないので、受診回数や期間が短いと、正確な診断がしにくいという性質があるのだそうで。私はあちこち転々としたり、個人的に「薬に依存したくない」「結局自分を変えなければ治らない」という思いからから、継続的に同じ病院で受診するということをしてきませんでした。自体が複雑になってしまったのは、結局の所自業自得・・・。ぐすん・・・。


ー初めての鬱は9歳の頃

それでは鬱遍歴みてまいります。


◇初めての鬱:小学3年生

原因:友人関係

学校で友達とうまくいかなくなり、予定帳に「死にたい」と書く。

母に見つかり、見開き1ページ分ガッツリ愛のお説教が書かれていて戦慄。

私はかなり野生児お転婆小学生だったので、小1〜小3くらいまで「自己中」とか「女男」とかよく揶揄されてました。(ご指摘に異論はございません。笑)優しさもありましたが、かなり独創的で自己中心的、短絡的な見方をしていたため、反感を買ってしまうことがよくありました。

振り返れば発達障害児だったと思います。


◇2回めの鬱:中学1年生

原因:友人関係、両親の不仲。

学級委員になったものの真面目すぎて正義感を履き違え、いじめられる。

新卒数年の新人担任のことも受け付けられず、不登校になる。

家でも両親の口論や不機嫌な態度が続き、自分ではこの人達を幸せにできないのだと無力感に苛まれる。

不登校は学校やら親やらめんどうなので3日で終了。

今振り返ると、この時もっとしっかり不登校やっとけばよかったし、もっとしっかり反抗期をやってればよかったし、もっとしっかり親と自分と向き合えばよかったです。

あらゆることがめんどくさいし、自分なんかいないほうが良いし、でも死に方を調べて実行するほどの行動力もない。自己嫌悪のループ。


◇3回目の鬱:高校1年生の冬

原因:文武両道に失敗。

勉強も競泳も結果が出ず苦しむ。

どうせ自分なんて何やっても結果が出せない。

頑張ったって空回りするだけ。部活もスイミングもクラスにも居場所なんかないし、家にいたって両親に気を使うし、もう人生どうでもいい。

高校から実家まで約8キロを2時間かけて歩いて帰る。

帰宅後両親の前で正座して謝る。

「もうがんばれません。」

両親困惑。

「そんなにがんばんなくていいよ」的なことを言われてなだめられるも全く納得できないまま自室にこもる。

例によって不登校の方がめんどうなので学校には行く。

スイミングもやめようか悩み、当時の担当コーチに相談。

「俺はいつだって本気だ。お前が本気でやるなら、俺はもっと本気でやる。お前の人生だ。お前が決めろ。お前にしかできない。でも俺は全力でバックアップしてやる。安心しろ。」

↑ワンピースとかルーキーズとか大好きなコーチだった。

↑この人に救われて文武両道の志を持ち直す。競泳も勉強も頑張る。


◇4回目の鬱:大学1年生の秋らへんから徐々に

原因:人間関係、成績不振

大学デビューをばっちり果たして華の1年生を過ごし夏休みあたり。。。

食生活も生活リズムもみだれ、そしてそれまでどっぷり浸かっていた親の価値観から抜け出し、多様な常識に触れる。

自分のアイデンティティの異様さに気がつく。(主に彼氏の影響)

好調な滑り出しだったはずの水泳部、入学して仲良くなったグループ双方で歯車が狂い始める。

相手に気に入られようと、いい人ぶって過ごしていた私は、自分はこれだけ我慢してる、尽くしてるのに、どうして相手もそうしてくれないんだと憤る。

結果、大学2年の初夏頃には四面楚歌に陥り、最低限の授業にしか行かなくなる。

秋口、ついに彼氏からも見放され、本気でパニックに。意図せず大事な人を傷つけてしまい、自分の無能さに絶望する。世の中の貞操観念と自分のそれが著しく乖離しているのだと知る。

失恋の痛みもろもろは、春休みの一人海外旅行で半減するが。。。


◇5回目の鬱:大学3年生の梅雨

一人旅で成長を実感し、スッキリ新生活を始めた3回生。

クラスも部活も恋も失敗したけれども心機一転やりなおしだ!と息巻く。

が、想像以上に自分の殻が硬すぎて、二の舞を踏む。

元彼氏と復縁をめざしてコミュニケーションをとるも失敗に終わり、メンタルは総崩れ。マジで人生詰んだと思い込む。絶望してとりあえず実家に走る。

数日で大学に戻れば出席日数は足りたのに、もはや1ミリもエネルギーは残っておらず、前期の単位は断念する。

このときの鬱っぷりは凄まじく、痛みへの恐れがハンパない自分じゃなかったら本当に死んでました。

毎日息止め大会をしては死ねない自分に涙。なんだこの茶番は。って。

この時初めて母から精神科系の病院を勧められましたが、「そんなもんに頼ったって問題は解決しない。行きたきゃ自分が行けば。」と突き放す。



◇6回目の鬱:大卒1年目秋


結婚を前提に同棲していた彼とうまく行かず。

不機嫌な自分の態度が、そっくりそのまま自分の母親の行動で戦慄する。

そんな折、中学の同級生が私に遺書を残して首を吊る。



◇7回目の鬱:上京して2ヶ月目


初めての大都会生活。アウトドアフェスのイベントバイトをきっかけにヘッドハントしてもらい、釣りの専門チャンネルの会社に就職する。

当時私は24歳。同部署の先輩が46歳と64歳。3世代部署。世代間ギャップやら満員電車やらフルタイム出勤やらで心身共にやられ鬱化する。

人事に受診を勧められ、2ヶ月間の休職ののちに退職。

このとき交際していた彼氏には「私の鬱人生に巻き込めないから別れてほしい」と訴えるも、泣きながら「巻き込んでくれよ」と反撃され、半同棲が始まる。



◇8回目の鬱:結婚して2年目

セックスレスが原因で坊主にする。

何度訴えても寂しさが伝わらず、もう自分には女として魅力がないんだと悟り、半分無意識の状態で坊主にする。

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