家族の記憶
父は中小企業の会社員、母は専業主婦。
2階建ての家に5人で暮らしていました。
家の周りには色んな植物が植わっていて、玄関にはミニバラ、縁側の側にはアスパラが植わっていた。
母は畑を借りて野菜を育てていたり、ミシンで自分や子供の服を作ったり、白菜の漬物を漬けるのが上手だったり、料理も上手な主婦としては完ぺきな人だった。
私は三姉妹の真ん中。次女。
姉は気が強くてこわかった。
妹はハーフのような顔をしていて、人から「ハーフですか?可愛いですね」と声をかけられたり、私から見ると一番母に愛されているように見えた。
そして、いつもニコニコしていて幸せそうだった。
そして、私はいつもニコニコついてくる妹が鬱陶しかった。
姉は友達と遊ぶときに、私を連れていってくれたことは、ほとんどなかった。
それなのに私は母から妹を遊びにつれていくように言われる。
母に言われたら連れていくしかない。
姉みたいに反抗して母に嫌われたくなかった。
そんな風だったので、たぶん私は妹にいじわるだったと思う。
大人になってから、妹によく言われること。
お姉ちゃんが門を勢いよく閉めたから、私は指を挟んで爪が潰れた、痛かった。お姉ちゃんにいじめられた。
私も姉とケンカになって、鉛筆で刺されたことがある、たしか腕だったかな。
痕は残らないけれど、痛かったことは記憶に残る。
そして、姉は私に対して怒りっぽくて支配的わがまま。でも、外ではしっかりものなので習い事などは姉と一緒に行っていた。
大人になって家を出るまで、なんとなく姉がこわくて逆らえなかったのは、そういう関係性だったからだと思う。
でも、3人で楽しそうに遊んでる記憶もある。
子供って、そんなもんだ。
自分がいる場所に適応しようとする。
子供が産まれてから、子育ての本で読んで私なりに理解したこと。
子供は周囲から愛されることが生き残れることだと、本能的にわかっているから両親の愛を求める。
そして、兄弟姉妹は人生において最初の競争相手になる。
このことを理解してからは、少し姉妹との距離感がわかってきた。
そして、今、私が心掛けていることは、兄妹がお互いを理解し合い、共存できるようにケンカの仲裁をする。
無理に息子に妹の面倒を見させたりはしない。
そして、なるべく愛情が片寄らないように気をつけようと思っている。
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