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なぜ黒人はいまだに差別に苦しまなくてはいけないのか そのいち

Black lives matter !

黒人男性George Floyd が白人警官に冤罪であるにもかかわらず殺された事件をきっかけに、世界中でいまこのスローガンを掲げてデモ活動が行われています。私自身も黒人差別、人種差別について考える時間が増えました。

そのため、私の知識を整理したく思いこの記事を作成するに至りました。アメリカにおける黒人差別の歴史について、近代奴隷制の誕生から現在まで、私の知識を総動員させて、「なぜ黒人はいまだに差別に苦しまなくてはいけないのか」について考えていきます。

参考文献は川島正樹著『アファーマティヴ・アクションの行方 過去と未来に向き合うアメリカ』(名古屋大学出版会)。その他小中高の授業、大学の講義で聞いたこと等をもとに書きます。

** 歴史のプロフェッショナルではないので非常にカジュアルな記事になっています。まだまだ勉強中なので、間違いを見つけたら、指摘してください。黒人差別に関してぜひ意見交換もしたいです。


・奴隷制が生んだ人種差別

人種による奴隷制がはじまったのは近代以降。西欧諸国の発展のため、コロンブスが見つけた新世界(アメリカ大陸)にアフリカから人間を呼びだし安価で働かせた。

西欧諸国は、アフリカからやってきた奴隷に砂糖やたばこを生産させ、その利益を競っていた。勝利を収めたのはイギリス。新大陸で開拓にいそしんでいたイギリス人は内政に不満を覚え、独立を決意することになった。それでできたのがアメリカ。

近代以降の世界では、「人間は生まれながら平等である」という考えが、ヨーロッパのエリート間で推進されていた。(その考えのもと進んでいったのが産業革命、フランス革命など)

しかし、この奴隷制は誰がどう見ても不平等

そこで持ち出されたのが、人種論だった。ヨーロッパ系白人は「黒い肌を持つ人々の劣等性」を訴えた。

生まれながら黒い肌を持つ人間は、白人より劣っている、そのため人種間に生まれながらの平等はない。という当時は科学的とされた理論。欧州の国民たちにも受け入れられていった。

奴隷制度は二世紀半ほど続いた。


・奴隷制と南北戦争

独立後の初期アメリカの発展を支えたのは紛れもなく南部の奴隷。奴隷のつくる綿花やたばこでアメリカは西部開拓の資金を得た。

奴隷制に関して、連邦政府はあまり口出しせず、各州の地方自治に任せていた(日本でいう条例みたいな)、北部には自由黒人もいたけど南部は黒人=奴隷という考え方の差ができていた。

そんな北部の人たちから支持されて誕生した大統領リンカーン。南部は自分たちの思うように政治を行ってくれない連邦政府に反発して独立しようとする。それで起きた戦争が南北戦争。

南北戦争のさなかにリンカーンは「奴隷解放宣言」を発した。もちろん人道的な意味もあった。けど、政治的には北部の黒人兵士を鼓舞させるため、南部の黒人奴隷の逃亡を認めて北軍の兵士にするためでもあった

黒人の力もあって北部が勝利する。

その後リンカーンによる努力で、連邦憲法が修正され、アメリカ全土で奴隷制は廃止された。

1865年のことである。


・それでも変わらない人種差別

奴隷制が廃止されても、ひとびとの慣習として、黒人差別は続いていた。二世紀半も、「黒人は劣っている」という価値観がまかり通っていた世界で、それをひっくり返すのは簡単ではない。

黒人差別が「隔離」というかたちで法的に認められたのは、奴隷解放から約三十年後。同じお金を払っているのに黒人であるという理由で一等寝台車への乗車を断られた黒人家族が、鉄道会社を訴えたが、退けられた。1896年のことである。

「分離すれど平等」という理論。

分離政策によって、学校、交通機関、公園などの公共施設で、有色人種が使う場所、白人が使う場所と分けられた。白人専用席があった、など聞いたことがある人は多いだろう。背景には「みだらな黒人男性から白人女性を守ろう」というジェンダー論が叫ばれたこともあった。


つづく。


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