![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88731647/rectangle_large_type_2_a8143a6176e57795be1ada1296159f1f.png?width=800)
【体験記】「赤面恐怖症」を乗り越えて
突然ですが、「赤面恐怖症」という言葉を聞いたことはありますか?
よく赤面症と呼ばれていますが、正式には赤面恐怖症と呼ばれるそうです。
かくいう僕も、「赤面恐怖症」の人間のひとりです。
今では2年に1度ぐらいのペースになりましたが、高校生のときはこの症状が原因で学校を休もうか頻繁に迷っていた時期があります。
このnoteでは僕の経験を記します。
様々な方がいると思うので、「赤面恐怖症」のひとを気持ちを代弁するつもりも、皆さんに具体的な行動をお願いするつもりもありません。
個人的な経験を記すことで、同じような苦しみを味わっているひとが一人でも減れば幸いです。
【悲報】赤面恐怖症あらわる
昔からよく「顔が赤くなってるよ」と言われていました。
おそらく幼稚園年長で女の子と話しているときに相手から言われたのが最初の経験です。当時はたいして気にしていませんでした。
中学生になると、息をとめてわざと顔を赤らめることで周囲を笑わせていました。
自分を消費する悲しさはあったものの、大きな問題は起こりませんでした。
決定的に自分のコンプレックスになった瞬間は高校1年生の保健の授業です。
「ストレスがかかる状態での身体の反応」の授業で、先生が「緊張して顔が赤くなった経験はみんなあるよね?」と問いかけました。
すると前に座っていた友達のほとんどが自分のほうに振り返り、にやにやと僕のほうを見て笑いました。
そのときの友達の顔は今もはっきりと覚えていますし、今後忘れることはないんだろうなと思います。
(別に仕返しをしようとかそういう気持ちはありません。笑)
その嘲笑を受けた恥でより顔が赤くなった僕は、もっと笑われました。
視界がどんよりと曇り、なにか重低音のようなものが頭に響いた感覚になりました。
悔しさや惨めさで心がいっぱいになり、だいぶしんどかったです。
これがはじめて「赤面恐怖症」が発症した瞬間です。
「赤面恐怖症」と戦うものの、勝てる気がせずおわおわり
「赤面恐怖症」はやっかいです。
みなさんがイメージできるものとしては「腹痛」が近いでしょうか。
お腹が痛いとき、それを自覚すると症状がよりひどくなりませんか?
「赤面恐怖症」も似ていて、「自分の顔が赤い」と思えば思うほど顔が紅潮していきます。
さらに赤面は腹痛と違い、他人から指摘される可能性が非常に高いです。
「顔が赤いね」と言われるともっと赤くなります。
さきほどの保健の授業での出来事はまさにその例です。
僕は学校で常に「顔が赤くなったらどうしよう」「友達に顔が赤いのを笑われたらどうしよう」と考えるようになります。
友達に話しかける回数も減り、孤独な時間が増えていきました。
塾や家でもずっとスマホで改善方法を調べましたが、有益な情報は見つからず、効果がありそうなのは高いお金がかかる治療法ばかりでした。
症状は悪化し続け、隣の席のひとと一時的に机をくっつけるだけで顔が赤面し、ひどくどもってしまうようになりました。
その時期にはもう学校に行く気は失せ、本当にいやいや登校していました。
身近なひとに相談しても「顔が赤くなるのはみんなそうだよ」と言われます。
僕自身も「顔が赤くなるのが嫌で学校に行かないなんて馬鹿げている」と思っていました。(今では全くそうは思いません。)
応急処置としてマスクをつけて学校に行っていたのですが、マスクをつける安心感と引き換えに、マスクを外すと必ず赤面する身体を手に入れてしまいました…(無念)
「克服」はささいなきっかけから
今思えば、克服のきっかけは本当にささいな出来事でした。
悩みに悩んでいたころ、ふとテレビを見ていると野生爆弾のくっきー!さんが僕のように赤面をいじられているのを見かけました。
(これきついやつだ…僕だったら絶対泣いてるなぁ…)と思って見ていると、
「顔の皮が薄いんですわ!」
と叫んで周囲の芸人さんを笑わせていました。
あろうことか、それを聞いて僕は心がとても楽になりました。
「赤面」という現象に悩まされ、心の病や周囲との信頼関係など色々な要因に分散し、自分のすべてを否定しそうになったとき、
「ああ、顔の皮が薄いだけだったんだ…」と思うとすっかり楽になってしまいました。
「そんなことで変化があるわけない!うそをつくな!」と思われる方もいるかもしれませんが、ドラマのような展開が常に現実に起こるわけではないはずです。
極端にいえば、道端の石に人生を変えられたひとも居ていいと思うのです。
もちろんこの出来事だけで全てが良くなったわけではありません。
その後、人前に立ち、プレゼンテーションをする機会をたくさんこなし、少しずつ自信をつけていきました。
遂には「赤面を笑うひとは、顔が赤いかどうかが価値尺度の上位にある時点で大した人じゃないから別に仲良くする必要はない」という暴論まで携えてしまいました。
これは相手の知識不足や経験不足を考慮できていない点で自分の良くないところだと思っており、修正しようとしています。
僕自身も、成長の半ばです。
しかし大学生の今、赤面について悩む機会はほぼ無くなっています。
おわりに
「赤面恐怖症」の経験で一番辛かったのは、頼れる人を見つけられなかったことです。
頼りたい友人に赤面を笑われて失望したり、赤面の辛さを打ち明けても不思議そうな顔をされて終わりということもしばしばありました。
それでも何かをきっかけに、症状が回復に向かうことはきっとあります。
みなさんは周囲のひとに「顔赤くなってるよ」と笑ったことはありますか?
もし笑ってしまった経験があっても、罪悪感に苛まれる必要は必ずしもないと僕は思います。
ただこのnoteを読んでこういう人もいるんだと少しだけでも知ってくれたら、それが何かのきっかけになるのではないかと信じています。
僕も道端の石のひとつになれたら嬉しいです:)
おわりです!
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?