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頑張っている人が好き声明

「頑張っている人が好き」は嘘だったことを告白したい。

昔から頑張っている人を見ると、心が躍る(と思っていた)。
図書館で模試の振り返りをしている学生やサークルで「うまくできない」と悩んで悪戦苦闘するメンバーを見て、好きだなと感じるときが多かった。

けれど、そう感じるのは本当に彼らが頑張っていたからだろうか?
ではオリンピックで金メダルを目指して努力するアスリートや、もともとA判定を取っていて合格を確固たるものにしようと勉強している学生に対して、僕は同じように好きだと思えていただろうか。

きっと思えていなかったはずだ。
既に高いところにいる人が、さらなる高みを目指して自分を鍛え上げる姿を見ると、感動よりコンプレックスが勝っていた。

おそらく僕は、努力する姿ではなくて、彼らが自らの時間や体力、ひいては自分自身を消費する姿に心を打たれていたのだ。
なぜなら、自分を消費する姿は今までの僕の生き方そのものだから。
彼らが自分を消費する姿に僕の生き方を投影し、僕の生き方を肯定するために彼らを肯定していた。
非常に利己的で歪んだ愛である。

そう思えるようになったのは、自分の生き方が変化してきたからだ。
いま、自分の弱さと葛藤する以外の生活を得ようとしている。
というより、すでに得ている。
自分を消費するのではなく、ひとや趣味に触れ、様々な仕方で社会と結びつくことによって、生活を華やかに彩ろうとしている。

だから「頑張っている人が好きだ」は、今となっては本当である。

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