見出し画像

親友の父親にやっと線香上げてきました。不思議なジェフベック繫がり・・・

<悔いの残る不義理>
高校の時同じ科で小生の音楽人生に大きな影響を与えてくれた親友の親父さんが去年亡くなっていたのを喪中挨拶で知った。
去年の年賀状で珍しく筆無精のあいつが手書きで「親が須藤君元気かって良く言ってる」と短文を書いてたのでもしかして病に伏せてるのかな?と思ったが、自分事で娘二人の進学で追われていて顔を出そう出そうと思っていたが、群馬に帰る度色々用事に追われ後回しにしてしまった。
それを知った時、その事をとても悔いた。どうして直ぐに電話して状況確認しなかったかなぁと。そして、常に心の中では常に親友と思い忘れることの亡い存在でありながらも長い間不義理にしてしまったこと。
高校の頃より友人宅へ行って、本人居なくとも親父さん、お袋さんと何時も楽しい時間を過ごし、まるで我が子のように可愛がってもらってた。
諏訪に来て新築したと聞き一度だけ訪問したがそれきり20年が過ぎてしまっていた。
年が明けて2024年1月2日ようやく線香を上げに伺い、不義理をしていたこと、可愛がってもらい直前まで小生の事を気遣っていてくれたことの御礼を遺影に向かい伝えてきた。

<不思議なジェフベックとの縁>
親父さんは2023年1月9日に亡くなったそうだ。
奇しくもその翌日1月10日にジェフベックが亡くなった。
親父さん、いくら何でもジェフを連れて逝っちゃダメだよ!w
そして、その親友とは以前から何度か話題に出していたが高校3年の時から一緒にジェフベックのカバーをアメリカに赴任する直前までバンドでプレイしていた。
アメリカに渡り、その流れで自分のニックネームはジェフベックから頂いた。
自分の中でとても不思議で大きな縁が繋がっていた・・・
そしてジェフベックの命日は彼が亡くなった2023年にとても深い縁が繋がっていたのだった・・・
不幸続きで有ったが何とも言えない2023年だったなぁ。
お陰様で親友ともまた交流が頻繁に出来そうだ。

こんなドラマチックな事があるから人生面白い。
人生泣き笑い。悲しいこと、辛いことが多いだけ小さな事がとても嬉しく幸せに感じられる。
乗り越えた先は楽しい事がより増えていくんだよなぁ。
元旦早々、北陸の震災で悲しみのスタートとなったが、残された皆が悲しみを乗り越えた時大きな幸せが待ってる事を祈るばかり。。。

還暦を迎える2024年辰年。
大きなターニングポイント。
残された時間を1秒たりとも無駄なく、有意義に過ごす事を更に誓った年明けで有った。
昇り龍ジェフ、頑張ります!!

<やはり繋がっていた心>
親友が小生が帰った後送ってくれた写真。
これは40年前小生がプレゼントした物をまだ大切に使ってくれている。
何の理由でプレゼントした物か覚えて無いのだが、一晩思い起こしてみたが多分自分が使っていた物をアメリカに行く前にあげた物かな?
本当に嬉しいね!

丈夫な造りで全く壊れる所が無いと!

<最後にジェフ兄貴に会ったのは2015年のライブだった>
トップ画像もその時のものである。
2015/9/27 もしかしたらこれが最後かな?と思って行ったライブで有る。
まさか本当になるとはね・・・(-。-;)

赤レンガで見た最後の姿は最高にカッコ良かった!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?