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RISING SUN ROCK FESTIVAL 2022 in EZOの記録 2日目

3年ぶりに開催されたRISING SUN ROCK FESTIVAL 2022 in EZOに参加した記録を時系列で残しておきます。
(1日目 8月12日の記録もあります)

8月13日(土)

07:00
ゆっくり眠れた。固めのマットレスで良かった。ホテル1階にある朝食会場へ。

07:30
体力回復に効くかと思い梅干しも食べる。五穀米ごはんを二杯食べる。生野菜、切り身の焼き魚、味噌汁もいただく。食後に札幌駅の中のドラッグストアまで行き、熱中症対策に冷えピタを買った。前の晩にセイコーマートで買った木の実フィナンシェがなぜか粉々になっていた。準備を整えてチェックアウト。バス乗り場へ。また暑い一日になりそうだ。

08:30
二日目もJTBアクセスバスで札幌駅から石狩へ向かう。前日と違って会場に向かう車の渋滞は見かけなかった。

09:10
会場に到着。前日よりは地面の状態が良くなっている。シマフクロウエリアに建てたテントで休むも暑さでテントの中にいられない。

11:00 鈴木実貴子ズ (EARTH STAGE)

このバンドも2019年1日目にRISING STAR枠で出演予定だった。丸3年経って今回もRISING STAR枠での出演である。厳しいことを言うと、3年経ってもRISING STAR枠でしか出られないのもやむを得ないバンドだと思う。よく見る情念系の女性ボーカルがギター弾きながら歌うバンドで、これといって新奇性も独自性も感じられなかった。ただ、意気込みは強く感じられた。

11:30 東京スカパラダイスオーケストラ (SUN STAGE)

もうあまり若くなくなった人たちが若い格好をしてうれしそうに跳ねたり手をあげたりしてるのを見るとやっぱり音楽の生演奏の場というのは不要不急ではなかったんじゃないか。みんなこれを待ち望んでいたんじゃないか。わりと生きるのに必要なものなんじゃないか。そんなことを思いながら見ていた。「水琴窟」のイントロが始まったから上原ひろみが出てくるのか!?と一人で色めきだったけど特に誰も出てくることなく淡々と演奏が終わっていった。なぜかスカパラでフィッシュマンズの「いかれたBaby」をやった。ゲストとして出演した石狩出身の若いドラマーよよかさんはアメリカに武者修行に行くらしい。頑張ってきて下さい。

12:30
テントに戻り、横になって緑黄色社会のライブを遠くに聞く。札幌のソウルフードの一つという「みよしの」のカレーを食べる。今回初出店だと思う。初めて食べた。オーソドックスなカレーのごはんの上になぜか餃子が3つのっている。これがみよしののカレーなのだそうだ。食べてみるとカレーがわりと本格的な味で、ごはんもおいしい。餃子とカレーは、まあ別々に食べてもいいような気がするけどおいしい。安いし量もそれなりにあってちゃんとした食事がイベント会場で600円なのは良心的だ。2日目も晴れて暑く、おそらく熱中症だと思うが会場内に救急車が入って来ているのを見た。

13:40  怒髪天 (EARTH STAGE)

始まる前、祭り太郎とミニ祭り太郎がステージの近くで「怒髪天のライブが始まるよー」と客の呼び込みをしていた。元ミッシェル勢やベンジーが若干このフェスティバルから距離を置いているように見える近年では、中村達也や石野卓球、スカパラ等と並ぶこのフェスの顔の一組だと個人的に思う。粋なおっさん達である。年を取ってようやく彼らの良さがわかった気がする。全力でダサくてかっこいい。ゲストに同じ北海道勢のthe pillows山中さわおが登場した途端、晴れまくっていた空に灰色のどんよりした雲が立ち込めてきた。ライブ後ステージを去るとき、ボーカルの増子さんは深く、長々と頭を下げていた。出演者もみな、今回の開催には思うところがあるのだろう。

14:50 フジファブリック (SUN STAGE)

BiSHというグループのメンバーが流行りの病になってしまったため、かわりに急遽出演してくれることとなった。わざわざ東京から石狩まで来てくれたのだ。それにしても、彼らなら安心して任せられるという信頼感はすごい。少なくとも私が見た範囲からは一つも不満や不安の声はなかった。むしろよく呼んでくれた、ウェス(主催会社)よくやったと思う。

私は以前、もうずいぶん前だがこのフェスティバルで志村氏がボーカルだったころのフジファブリックのライブを見たことがあった。そのときのライブのことは、どんな曲をやったかを含めもうほとんど覚えていない。たしかステージはEARTH TENTだったような気がする。

私が知っている彼らの曲は「若者のすべて」と「茜色の夕日」とあと2、3曲くらいだったが、今回のライブは初めて聞く曲が多かったのにとても良かった。「この社会情勢でようやく、徐々にだけど音楽の場が再開しつつある、ここが居場所だという人もたくさんいる、このフェスティバルの開催も2回中止になって、今回もたどり着くまでいろんな困難があったはず、でも行き詰まったここからが始まりなんだ」という、彼らだからこそ言えるこの言葉に勇気づけられた人はたくさんいたのではないか。「若者のすべて」を聞きながら涙が出そうになった。近くにいた人は目をぬぐっていた。最後にBiSHのカバーをやった。

16:40 milet (EARTH STAGE)

全く何も知らないmiletという人のライブをふらっと見にきてみた。ミレットではなくミレイというんだ、と初めて知るくらいの何も知らなさである。となりのHygge STAGEからは、今回LOSALIOSとして出演している 中村達也のドラムが聞こえてくる。中村達也のドラムが鳴っている場所がin EZOである。Hyggeに行きたい気持ちはあったがここの次にSUN STAGEまで移動するのが面倒なのでEARTHのレジャーサイトでのんびり座って聞いていた。miletのライブは特にこれといって感想は無いが、楽しそうに歌ってたのはよかったと思いました。

EARTH STAGE

18:10 NUMBER GIRL (SUN STAGE)

石狩の地で彼らのライブを最後に見たのは2001年だった。向井の音頭でみんなで乾杯をした。持っていたペットボトルで。晴れた暑い夏の日で、昼の日差しが強かった。もう21年も前のことだ。
20年前のZepp Tokyoで彼らのラストライブの一つ前のライブを見た。Zepp Tokyoの2階の指定席で見た。私の席の目の前に椎名林檎がいた。
NUMBER GIRLも自分も年を取った。

SUN STAGEのスタンディングエリアで棒立ちになって時間が来るのを待つ。Apple Watchに「NUMBER GIRL出演15分前です」と通知がくる。時間前のリハーサルで「DESTRUCTION BABY」をまるまる一曲やった。かっこいい。
リハーサルとサウンドチェックが終わっても向井はステージにそのまま座って、満足そうな顔で客のほうを眺めながらサッポロ黒ラベルを缶で飲んでいた。「このままずっとここ(ステージ)におったらおもしろいか」などと言って居つづけて、メンバーも全員残り、そのまま開演時間になった。

ライブはSAIKOUだった。若かった頃の記憶がぐるぐると蘇った。みんな乾杯するときは「よかろうもん!」と言うように向井から指導があった。そんな中、向井が唐突に解散を宣言した。

解散か。そうか。二度目の解散だ。うっすらとそんな予感が無かったわけではないが、なんとなくまたこれからもどこかのイベントやワンマンで見ることができるものと勝手に思っていたので、少なからずショックだった。ただ、納得はできた。もともとこのフェスティバルでやるための再結成だ。潔さも彼ららしい。もう二度と見ることはないと思っていたものが石狩のこの地で再び見られただけでも本当に良かった。若い世代の人たちが生で見られたのも良かった。メンバーがみんな生きているうちにやったろうやないかと考えたと再結成時のインタビューで向井は話していた。それは正しいと思う。

再解散宣言からの「OMOIDE IN MY HEAD」そして「I don’t know」はめちゃくちゃかっこよかった。向井がライブであんなに何度も、客に対してありがとうと言うのを私は今まで見たことがない。

最後に向井は「やったぜベイビーイェイイェイイェイ」と謎の言葉を残して去って行った。

20:00 レキシ (SUN STAGE)

King Gnuの代役としての出演だが彼らも急遽わざわざ東京から来てくれた。光る稲穂と光らない稲穂を持ったファン達がぞくぞくとスタンディングゾーンに集結してくる、と文字にして書くとわけがわからないが本当にそういう状況だった。稲穂はレキシのグッズである。中にはそこらへんに生えていたススキやその他雑草を手にしている者もいる。夜の闇にぴかぴかと光るたくさんの稲穂は確かにきれいだった。

NUMBER GIRLの解散でしんみりしていたが、GLAYやサカナクション、ホワイトベリーなど北海道出身のミュージシャンの曲やKing Gnuの曲、マツケンサンバなどで一通り笑わせてくれた。あとはだいたいいつも通りだったんだと思う。突然の代打出演であれだけしっかりみんなを笑わせて、ファンクな演奏をして去っていくのはプロのミュージシャンとしてかっこいい。

22:00 SATURDAY MIDNIGHT SESSION (SUN STAGE)

今年のセッション系の企画はなぜか土曜夜の一番大きなステージで行われた。セッション企画はどちらかというと例年金曜深夜にやってるもう少し小さめのステージでこそこそやってる感じがよいと思う。ステージ上にはピアノとドラム、バイオリン2人にビオラ、チェロのメンバーがいて、ボーカルが代わる代わる出てくるのが基本的な構成だった。

最初に出てきたのはくるりの岸田繁。「ばらの花」と「ブレーメン」を歌った。弦楽四重奏を従えた「ブレーメン」はすばらしく、出色のライブであった。「ばらの花」をこの場所で聞くと必ず2001年のことを思い出す。くるりが初めてこのフェスティバルに出演した年、一日目は今でいうEARTH TENTのみでの開催だったが、トリがくるりだった。若かった彼らは「僕らはロックバンドなんで」と言って終演時間を無視し、やったのがこの曲だった。客の我々は歌詞のとおり本当に最終バスを乗り過ごしたし(実際には最終バス後の時間まで待っててくれて乗せてもらえた)、出演ミュージシャン達をホテルへと送るバスもくるりのせいで出発できず、先輩達を長く待たせることになったという。2003年にRedstar Fieldで出演したとき岸田は「あんときWESS(主催会社)にめっちゃ怒られて」と語っていた。懐かしい思い出だ。

他にはSUPER BEAVERの渋谷龍太が歌ったオフコースのカバーが良かった。奥田民生、中村佳穂、TOSHI-LOWらも代わる代わる登場した。途中ピアノが上原ひろみに交代し、甲本ヒロトと「Anarchy in the UK」を一曲。 上原のピアノに合わせてブルースハープを吹き鳴らすヒロトが楽しそうだった。ヒロトはこの一曲以外今回は出番がなく、めっちゃ贅沢な甲本ヒロトの無駄遣いを我々は目の当たりにすることになった。

24:45 藤井風 (SUN STAGE)

前のステージの影響(主にTOSHI-LOWの余計な話)で15分ほど遅れてスタートするとの告知があった。となりのステージからはフレデリックのオドループが客の手拍子も含めてわりとはっきり聞こえてくる。楽しそうだ。曲の最後どんどん速くなっていっておもしろかった。

Vaundyの代役として急遽出演が決定したのが藤井である。一応彼のことは知っていた。紅白にも出てたし十分売れていて人気のあるミュージシャンだと認識している。まあとにかくルックスはいいし声もいいし作詞作曲センスにオリジナリティがあるしピアノも弾けるしと非の打ち所がない。おまけに出演キャンセルになってしまったVaundy、King Gnu、カネコアヤノ、BiSHのカバーまでやってしまうという、他のミュージシャンへのリスペクトとサービス精神まで見せつけてくるという凄さ。近い将来、超大物、大スターになることを確信させるライブであった。

このフェスティバルではこれまでにも「俺あのライブを現地で見たぜ」と何年後もずっと言えるようなライブをいくつも見てきたと勝手に思っているが、間違いなく今回の代打藤井風もその一つになるだろう。

それにしても土壇場でフジファブリックにレキシに藤井風を東京から石狩まで呼び集めるという離れ業をやってのけたところに、老舗邦楽フェスの意地を見た。

25:30
テントに横になってROTH BART BARONのライブを遠くに聞く。こんなド深夜に「チルってなんすか?」みたいなバキバキの音楽をやってるのが聞こえてくる。このまま眠りたい気持ちになったがどうにか起き上がってふらふらと夜明け間近の会場内を歩く。そこらへんの地面でバタバタと力尽きて眠っている者も多い、そんな時間だ。この光景を見ると「エゾに来たな」と思う。ずっと行列が絶えなかった牛タン丼の店に誰も並んでいなかったので、夜明け前の早朝に牛タン丼を食べる。うまい。

28:00 BEGIN (SUN STAGE)

今年のタイムテーブルが発表されたとき、大トリがBEGINだとわかってみんな納得してたような気がする。それくらいの信頼感がBEGINにはある。

BEGINは去年のフジロックYoutube中継でのMCが記憶に残っている。2021年の夏、感染者が爆増して、医療もやばい時期のことだった。
「みんなよく来たね。いろいろ考えてここにみんな来てると思う」
「やれたから正解というわけではない。やってみた後で間違っていたとなるのかもしれない。でもそのときはそれをちゃんと認めて前に進もう。やってみて何もなくて成功だったとなるかもしれない。それはやってみないとわからないこと」
たしかそんなようなことを言っていた。シンプルだけど人間が生きていくのに必要なことが全て詰まったような言葉だった。

あれから一年以上経ち、状況がかなり変わった中で今回は「空見てごらん。もう朝だね。みんなのゴールだ。たどり着いたね。みんなで朝日を迎えにいきましょう」と話す。みんなで手をあげて好きなように踊る。途中、ステージ上には着ぐるみが合計3体いるというよくわからない状況になった。石狩のマスコットキャラのサケ太郎とあとなんか2体いた。法律や教科書よりも長く生き残るのは音楽だとも話した。「君達が今日ここに集まってまた開催できたことはとても大きな意味があること。いま植えた種が50年後、100年後にここで大木に育つかもしれない」とも話した。「涙そうそう」から「島人ぬ宝」で締め、平和で穏やかな朝の空気の中、今年の全アクトが無事終了した。

05:00
最後、主催のWESSの若林さんが締めの挨拶。やつれて疲れ切った顔だけど笑いながら心底ほっとしたような表情で「できたね」と言っていた。今年は本当に苦労が多く大変な開催だったと思う。開催してくれたことに心から感謝だ。
来年は8月11日、12日の開催と大型モニターで発表された。ジョン・レノンの「POWER TO THE PEOPLE」が流れ、次にU2の「WITH OR WITHOUT YOU」が流れる。
店や参加者たちのテントはどんどん撤収が進み、二日間だけ石狩の地に現れた町は儚く消えていく。太陽がようやく雲の上に出てきた。みんな「あけましておめでとう」と言いながら次々と駐車場やシャトルバスの列に向かい、日常の世界に帰っていった。

06:30
テントを片付け、ゴミを捨て、荷物をまとめてクロネコヤマトの受付に運ぶ。ウォーターステーションで10分間のシャワーをあびる。こんな時間までトイレの誘導スタッフやごみ分別のスタッフが丁寧に案内していて頭が下がる。

07:00
会場をあとにする。麻生駅行きのシャトルバスに乗車。この時間になるともうまったく並ばずに乗れた。今回は札幌、手稲、新千歳へのアクセスバスがあったのでバス客はうまいことかなり分散したように思う。

08:00
麻生駅につき、地下鉄で札幌駅まで。駅の中のミスタードーナツが開いてたので軽く朝食がわりにドーナツを食べる。疲れた体に甘いものがしみる。予想より早く札幌まで戻れたが歩き回る気力もないので、帰りの飛行機の予約を午前中の便に変更し早く帰ることにした。

09:00
札幌駅から快速エアポートに乗車。なかなか混んでいる。大きな荷物の客が多い。

09:40
新千歳空港に到着。思いのほか混雑している。盆休みの帰省や旅行から首都圏へのUターン客だろうか。かなり時間があったのでラウンジでぐったりし、展望デッキで飛行機を眺め、北海道産そば粉使用の店でそばを食べた。

11:20
新千歳空港を出発。帰りも北海道の翼AIRDO。離陸から着陸までほぼ記憶にない。オールナイトが体にこたえる年齢だ。

13:00
羽田到着。最寄り駅行きのリムジンバスはちょうどいい時間のがなかった。どうしても座って帰りたかったので電車ではなく、市川駅行のバスを利用。空港の外に出るとばかみたいに暑い。羽田空港も混んでいた。

14:30
津田沼駅に到着。津田沼も暑い。駅前の猫はフェンスの向こう側でこちらに背中を向けて寝ていた。石狩のあの広い会場内を歩き回った後だと、駅から自宅までもずいぶん近く感じる。無事自宅に到着。


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