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漠然と不安な(だけど特に何もない)状態をことばで反証する

他の人になったつもりで書くセルフワークです。読んでも得はありません。ネガティブな表現もしますが心配しないでください。心身とも健康です。

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題名のような人のことを考えています。いま、来たる未来に漠然とした不安を抱えている人は、ザラにいると思います。

この記事は「こうすればいい」というメッセージではなく、そんな人の事実と感情に対する反証を目的に、ただのテキストの問答として記述します。

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若年層は自己肯定感やなんだと言われるものの、同時代を生きる自分たちはどうだろう。世代や役割でなく自分自身はどうか。この時代を背景に、自分を支えているものを失ったとき、同じことが言えるんだろうか。

正解らしきものは散らばって存在しているけど、どれを選んでいいか分からない。自分にとってどうなるのがいいか、も分からない。

正解らしきものは知らない。いつだか根拠のない自信も持っていた。つい先日までの記憶の若者が、いま現代を生きたらどう感じただろう。

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知恵は知恵としてハッキリしている気がする。それはどこかにあって、とりたてて調べることもないし、体得できた知恵も満足にない。

と同時に、自分がハッキリしないことはハッキリしている。ステレオタイプと違って、取り上げる価値もない。それは今ここに、そのままの自分としてある。

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自己肯定感、自信がない、など聞くけど、そんな測られたような評価なんて知ったこっちゃない。自身のこととして漠然と不安に晒されても、そこには特に何もない。仕方がないから、あえて向き合う必要もない。

他人からどんなアドバイスをされようと、主観的に何もないところから、何かを伸ばす発想にはならない。優しさの無駄遣い。何かにはまればはまるんだ、と思う他ない。

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境界線はグラデーションのようにみえて、無数に分断されている。細かな差異は、掴みきれないほど鋭利に角ばって見える。

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それよりも目の前にいる、薄くとも実感のある友人のほうが、今を肯定してくれる。お互いがお互いの鏡になる。

誰の本心も分からない。トレンドに上がってきた動画を消費する。ばからしくて、おもしろい。沈黙を遮る。

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頭のどこかで共感より同感が欲しい。

メーカー品の美しさより、幼子のラクガキのようなリアリティが欲しい。手軽な絶景より、ある日の網膜を破りそうなぐらいの夕焼けに打ちひしがれたい。

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題名のような人のことを、肌感覚で知りたくてテキストに書いてみた。

彼ら彼女らを社会に仕向けなくていい。

認められて、わたしに気づく。わたしを決める。そんな世界観をつくりたい。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。