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日常:2019/7/29 邪念渦巻く深夜1kmは入眠への近道

夜風が気持ちいい、深夜1時。近所を散歩しながら書いている。

20時頃まで働き、帰宅した21時から0時まで、合間に家事をしながら体感30分程度で終わる。深夜番組でも観たいもんだけど、家事と合間にダラダラしてその余力もなくなる。

子どもの成長が著しい時期、夜帰っても全力で遊ぼうとしてくる。お風呂と寝かしつけだけで、なかなか疲弊する。子は自分から寝てくれて、夜泣きもないので助けられている。これからもっと活発になるんだろう。大人たちの苦労を見ていると、到底及ばないなと思う。できない、とも言ってられないんだけど、奥さんに向ける顔はない。眠そうな子のことを思うと、夕方あたりにでも遊べないのは申し訳ない。

明日のお弁当と夕飯のおかずをまとめて作る。2,30分の間に作るので、手際は良いほうだと思う。今日はありモノでチヂミ。九条ネギが100円弱と安かった。地のものは美味しい。そこにあるもので何とかする。基本的にズボラな性格なので、何かを作るために食材を買うほうが少ない。カレー、麻婆豆腐、ピカタ、煮物、謎の汁、ありモノでなんでも作る。それが至福なのかも。

作るばかりで、洗いものを貯めてしまう。今日は洗い物までやった。毎日当たり前に続けたいけど、時間的な都合もあって難しい。借り住まいのシンクは小さい。いろいろ諦めているわけじゃない、と頭の中で言い訳する。

断続的に動きながら、考えてもどうしようもないモヤモヤした状態だけが残る。消そうにも、その日のうちに消せないこともある。残りカスだ。昔はもう少し強引だったかもしれない。何かと対面しても何とか”処理”しようとした。村上春樹の話中のセリフを思い出す。

我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。(ノルウェイの森より引用)

なんやねん、の一言で片付けてしまいたい。1日を過ごせば、哀しみ抜くだけの体力もない。ヘロヘロである。疲れたら人間ヘロヘロになる。ヘロヘロは20代よりも顕著に身体に現れる。ヘロヘロになったら、何かを学ぶ力は1mmもない。ヘロヘロはヘロヘロなりに、ヘロヘロと漂って、身についた残りカスを振り解きたい。

深夜1時。邪念を引き連れて、なんとなく歩き始める。といっても1km程度なんだけど。普段よりゆっくりと。漠々しく連なる雲り空、住宅街の静寂に抱かれる。この1kmの時間が、意識の残りカスを無意識へと焼却処分してくれる。最近はそうやって、1日を終えている。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。