見出し画像

好きにしているだけ

最近ひさびさにお弁当を作っている。以前共働きしていた頃から3年ぶり、これで3週目。出張時以外は、なんとなく毎日継続している。

昨晩は常備菜を、煮卵、ピクルス、きゅうりとコーンとハムのサラダ、味噌汁のタネを用意した。この季節は日保ちしてアッサリしたものが良さげ。弁当にも夕飯にも使って、平日中を少し楽に過ごせるかもしれない。

こんな感じだけど、ひとり暮らしの頃は、弁当なんてろくに作らなかった。来る日も来る日もコンビニ飯やカップ麺ばかり。ランチは買ってきたり、外食に出かけた。

めんどくさい性分で、こう続くとは予想もしなかった。しかも、避けようのない家事に、子どもの身支度、送迎など加わり、以前より暇がなくなっている。帰宅も特に早いわけでもない。きっと、必要と思うだけでは続いていない。必要性以外のモチベーションに支えられているんだ、と思う。

何がそこまでして、弁当を作らせるのか?第一に、ごはんが好き。食うためなら何でもします(笑)そして、作るのが好き。短時間に効率よくこなすことも、下ごしらえから備えるのも、モノ作りの感覚によく似ている。最後に、作って喜ばれるのが好き。これが一番エゴを満たす。

つまるところ、好きにしているだけ。ストレスも少ない。好きこそモノの上手なれ。スキ、バンザイだ。そんな気持ちで、大概のことはできるような気がしてくる。

noteを読んでいると、自分の知らないスキや、他人のスキを知れる。その人にとって普通でも、シャレた言葉づかいではなくとも、また、同感しようがしまいが、他人と違うモノゴトが興味を惹く。何が好きかも分からない人ですら好きに存在していられる。誰かが好きに過ごしている様子を知れると、遠いところで共感して、少し安心できる。

忙しいと、その忙しい場所にばかり意識が費やされます。24時間のうちたとえ5分でも10分でも、好きにできる時間を大切にしたいもんです。今週も続くかな?結果は知らない。スキを大切にしよう。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。