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ドイツ歌曲講習会「ミルテの花」2022春 釣アンナ恵都子先生にインタビュー 「その1」

ドイツ歌曲講習会「ミルテの花」2022春では、ドイツ・ミュンヘン在住のオペラ演出家、釣アンナ恵都子先生を講師に迎え、歌曲集「ミルテの花」のレッスンを行います。

講習会事務局の惡澤が聞き手となり、釣先生にインタビューさせていただきました。

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(惡澤)-ドイツ歌曲講習会「ミルテの花」2022春に向けて、改めて「釣アンナ恵都子先生はどんな方か?」というところを掘り下げていきたいと思います。よろしくお願いします。
(釣)-よろしくお願いします。

(惡澤)-まず音楽を始めたきっかけは。釣先生はフルート→指揮→オペラ演出という異色の経歴です。
(釣)-一番はじめは2-3歳の時で、音楽のお遊戯教室のようなものに入っていたらしいんですね。・・・それはすごく楽しかった。いまだに習った曲を覚えているんですよ。その時すでに音楽を体で表現することを学んだんでしょうね。
きちんとしたクラシック音楽の勉強としては、6歳の誕生日の時にピアノを始めました。お友達がピアノが弾けて、誕生日パーティの時に弾いてくれたんです。それで私も母にピアノを弾きたいと言いました。
(惡澤)-小さな女の子の「あるある」ですね!
(釣)-それでピアノを習い始めたんですが、当時はあまり好きではなかった。当時私のうちのピアノは家の本当に端っこ、物置みたいな部屋にポツンとあって・・・畳と障子で全然響かないし、夜は寒いし、ピアノを弾いているときは孤独だし。でも親に「あなたが始めるって言ったんでしょ!」って怒られて(笑)
(惡澤)-(笑)
(釣)-でも小4の時に転機が訪れました。当時、4年生から全員が何かクラブに入らなければいけなかったんですが、・・・私は体育会系のクラブに行きたかったんだけれども、ジャンケンで負けて音楽クラブに入ることに(笑)でも、 その音楽クラブの先生がとても素晴らしい方で。学校の楽器庫を全部解放してくれて、楽譜もたくさん用意してくれていて、好きな曲を好きな楽器で好きなだけ練習してもいい環境があった。そこで、友達と一緒にアンサンブルしたら、その時に初めて、音楽って楽しいと思うことができました。
フルートを始めたのもその音楽クラブです。先輩がフルートを吹いていて、かっこいいなぁ、と。フルートは5本しか学校になかったし繊細な楽器で扱いも他の楽器、リコーダーやアコーディオンなどに比べて難しいので、上手じゃないと触らせてもらえなかったんですよ。なのでフルートを吹く係になった時はとても嬉しかった。
そして中学校に上がると、今度は楽器が全く無いような学校で・・・そこでは合唱部に入って、合唱をやりながらフルートの個人の先生のレッスンに行くことにしました。
また、高校では強豪の吹奏楽部に入りました。本当は個人のフルートの先生には「オーケストラ部に入ってフルートを吹いてね」という意味で「吹奏楽部でフルートを吹いちゃダメよ」と言われていたのですが、私はそれを勘違いして、「吹奏楽部で違う楽器を吹けばいいんだ!」と考えてしまって、吹奏楽部でトランペットを吹くことに・・・(笑)
(惡澤)-フルートの先生にびっくりされませんでしたか?
(釣)-もう、怒られて(笑)
(惡澤)-その後の進路については。
(釣)-私の実家はバブル崩壊後家計が思わしくなく、家は相当苦労していたので、進路決定には相当悩みました。中学校の頃から音楽の専門の学校に進みたいと親にお願いしていましたが叶わず、ずっとそのまま高校3年の春まできてしまっていました。でもその時に、「ここはどうしても音楽の道に進まなくてはいけない。そうでないと人生を棒に振ってしまう。」となにか本能的に思って必死に説得したんです。親戚中を敵に回したような感じになりましたが、最後には思いが両親に届いてなんとか許可が降りました。で、そこから、なんとか急いで音大に入れる道は、と考えた時、フルートがいいんじゃないか、と先生方におっしゃっていただいたので、フルートで受験することになったんです。

(惡澤)-フルートで音大に入った後、指揮もされていますね。
(釣)-もともと小学校の音楽クラブから始まって、中学でも高校でも指揮をしていたんですよ。私の音大の中に、たまたま「指揮研究所」というのがあって、それはその当時、文部省の大学院申請をしている最中で、名前は研究所だけれども大学院のようなカリキュラムで勉強するコースがありました。そこは新学期が日本のような春ではなく、欧米のような秋始まりでした。正式には「研究所」だったので大学卒でなくても入試が受けられたので、1年生の時に入試を受けて受かってしまったんです。それで学部1年生にして研究所のコースを掛け持ちする生活を四年間していました。

(惡澤)-指揮からオペラへの転向については、自身の感じる共感覚の世界をオペラで表現できるという理由だと伺いました。 個人的にも、音楽を聞いていると風景が思い浮かぶことがあって、共感覚の世界は興味深いです。 
(釣)-そうですね、私の場合、素晴らしい演奏を聞いた時には音楽を通して見える絵が、よりクリアになるんですよ。感情がつまっていない音楽は色や音がクリアに出てこない。
(惡澤)-今、日本のアニメでも共感覚を持った主人公がいるシリーズがあって、キャラクターがストーリーの中で、匂いと感情を結びつけたりして話すことがあるんです。聞いている視聴者は一瞬不思議な感覚になるんですが、...原作の漫画家の方がもともとそういう知覚の仕方をしているんだと思います。そもそも共感覚は、芸術家であれば必ず持っている力なのかもしれませんね。

(次回へつづく!)

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*釣アンナ恵都子*


オペラ演出家、元指揮者& フルーティスト。
NHK BSに『夢の音楽堂 小澤征爾が誘うオペラの世界・ウィーン国立歌劇場バックステージツアー』などで度々出演。ドイツの名門、国立音楽大学ハンスアイスラー、及びウイーン国立音楽大学のオペラ演出学科に日本人として初めて入学。これまでウィーン国立歌劇場、ニューヨークメトロポリタン歌劇場、パリ太陽劇団などで研修を重ねる。
幼少の頃ころよりミュージカルやダンス、指揮、楽器演奏や声楽に親しんでいることを生かして、音楽を最大限生かし歌手の声に負担のかからない演技の指導をすることには定評があり、ドイツを中心に歌手のための演技指導にも活発に関わっている。2019年からバイエルン国立歌劇場に籍をおく。現在ミュンヘンを拠点に活躍中。
www.annaetsukotsuri.com

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*惡澤仁美*

舞台制作者。青山学院大学英米文学科卒。2016 年に渡米後、半年間インターンとしてバレエやステージショー、オペラ制作の現場に携わる。帰国後、総合舞台芸術カンパニーにて国際共同制作、TPAM フリンジ参加事業やシアターオリンピックス参加事業等、国境を越えた舞台制作に幅広く携わる。2018 年 12月、Japan Entertainment TOKYO を設立。クラシックからコンテンポラリーまで、音楽、演劇、舞踊、美術などあらゆるジャンルにおいて主催や制作協力を行いながら、舞台による国際共同の在り方について研究している。これまでに 舞台制作として携わった国は、タイ、マレーシア、インドネシア、インド、フランス、 ドイツ、アメリカ合衆国の 7か国。Photo by SHINGO Yoshizawa

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