俺には分からないプライドに振り回された話

先週、肩の骨を折って入院・手術した。
当然仕事に影響がないわけもなく、まぁ入院中ではあるため、何が出来るわけでもないが、色々と対応したわけだ。

それはそれとして、営業という立場に一応置かれているため、日報を出せ出せとせっつかれ、普段から遅れたり出さなかったりする度にグダグダと文句を言われていた。

それでもお利口さんな俺は「はぁそうですね」と言いながら提出する。
入院していた今回も同様だ。
入院して手術しました。と。


……その日のうちに電話がかかってきた。
「こっちで情報を発表してからそういうことしてもらえる?」

曰く、今回のようなイレギュラーなことがあった場合、まず朝礼で全社に情報広げた上で出すんだそうだ。その前に日報なんかで全社展開されたらメンツが潰れるらしい。

俺の言い分としては、
・先週、日報に記載するほどのことをしていない以上、その日報を提出する必要がある
・まさか一週間まるごといなくなっていたことが伝わっていないとは想定外だ
・そもそも入院手術をすることを知っていたのに、朝礼で全社展開されていないのがおかしい
・そんなしょーもない情報統制みたいなことをした上で潰れるようなメンツなら潰しても問題なかろう

というわけで、何か言ってラァって感想でおしまいだ。


しかし、よくもまぁこんなことでグダグダ言えるものだ。
「情報が伝わってるかどうか確認した上で手術したって言え」って、ものすごい気持ち悪さを感じる。
同調圧力の塊というのか、トップダウンの極地というのか。
俺の骨折自体では、お前らには影響がない(影響がある部分には当然伝わっててカバーもしてもらっている)のにも関わらずだ。

入院中に読んでた本の中にちょうどいい内容があったので引用する。

ほとんどの場合、情報を隠すことは、みんなの仕事の邪魔になるだけだ。
こういうやり方の背景には、マネジャーの妙なプライドの問題がある。誰かに「承認してください」といわれると、偉くなったような気がするのだ。ばかばかしいと思うかもしれないが、この問題が意外と根深くはびこっている。

ハヤカワノンフィクション文庫『リモートワークの達人』p.206より


俺が骨折してたって情報、隠したり遅らせる必要、あった?
承認の必要、あるの?
偉くて色々と掌握してる気分は気持ちいいらしいが、俺には興味がない。

俺にとって興味があるのは、この私に生きる根拠があるか否か。

それ以外のことは雑事でしかないのだが、まぁそのことを考えるためには飯を食う必要があるからとりあえず仕事はしているわけで。
”そういうこと”に一所懸命になれるのは一種の才能なのかもね。

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