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夢と記憶の迷宮——森村泰昌 「ワタシの迷宮劇場」展レビュー

吉田理紗

5つの門からひとつを選ぶ。門の横幅は人がひとり、やっと通れるほどしかない。「だぶらかしの門」から、足を踏み入れる。展示室全体は無数の水色のカーテンで仕切られ、ポラロイド作品が掛かっている。どこからか物語の朗読と電車が走る音が聞こえてきて、その音の正体を探しにゆくが、道に迷ってしまう。通常、美術館で展覧会を見るときは、鑑賞の順路が設けられ、鑑賞者は企画側の意図に沿って視線も動きも誘導される。しかし「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場」展には順路がなく、5つある「門」のうち任意の場所から出入りする。私たちが無意識のうちに持っている、美術館での作法が通用しない展覧会だ。鑑賞者は否が応でも森村の世界に迷い込むことになり、迷宮での作品鑑賞を試される。

展示室中央の「夢と記憶の広場」では暗幕に囲まれた薄暗い空間で、ふたつのスクリーンに映像作品が投影される。一方のスクリーンでは、ウィッグをかぶり化粧をして女性に変身した森村が、30通りの装いをして順番に登場する。背景は黒一色で、様々なコスチュームを着てポーズをとる森村は、着せ替え人形のようにも見える。もう一方の映像は、男性である森村が素顔の状態からテーピングや化粧をする様子を定点カメラで記録し、女性に変身する過程を捉えている。《夢と記憶が出会う場所》と題されたその作品は、表情を変えずポーズを決める前者に対して、後者は変身の過程を種明かししているようだ。

30人の「ワタシ」は、それぞれ書籍に対応づけられている。彼女たちは、『魚と貝図鑑』や『ドラえもん』など多種多様な本を手に持ち、あたかもベルトコンベアに乗っているかのように、右から左へ流されていく。ファッションもメイクも明らかに時代遅れで、いつの流行かは分からないけれど、どことなく古めかしさを感じる。よく見ると書籍も古本なのか、真新しいものはなさそうだ。「ワタシ」たちは本の題字を鑑賞者が読める角度で持っていたり、各々がポーズをとっていたりと、他人に見られる対象としてそこに存在している。しかし、ただ流されるままではない。完全に静止しているわけではなく、5本の指をイソギンチャクのように動かしたり、手首を振り回したりするのだ。一見、規則的な動きをするマネキンのように見えるけれど、時折、まばたきや身体の微妙な揺れが確認できるからか、無機質さは感じられない。

ポーズや衣装、書籍を用いて、鑑賞者の視線を誘導する30人の「ワタシ」に対面するスクリーンには、もう一つの映像作品が流れる。森村自身の素顔から女性へとメイクアップする様子を捉えた映像だ。ウィッグを被るために地毛はネットに収め、化粧下地を塗り込んで肌のトーンを変え、テーピングをして顔の輪郭を形づくる。はじめは、ひとりの日本人男性作家であったのが、徐々に女性である「ワタシ」に変貌してゆく。定点カメラで記録されたその映像を見ていると、時々電車がガタンゴトンと走る音が聞こえてくる。生活音や作業音が耳に入るからか、ポーズから衣装まで作り込まれた30人の「ワタシ」とは対照的な印象を持つ。森村のすっぴんをはじめとして、部屋に置かれた化粧品やウィッグを無造作に置いている様子からは、作家のありのままの姿を見ているような錯覚に陥る。この一連の変身の過程は、絵画制作におけるキャンバスに下地を塗る作業や、下描きをして、その上から絵の具を塗り重ねてゆく工程を想起させる。30人の女性がドレスアップした映像が一つの完成形だとすると、森村の変身シーンは彼女たちの正体を堂々とした態度で種明かししているようだ。

「夢と記憶の広場」を出て、展示室の中を進んでゆく。突き当りまで歩くと、水色のカーテンで覆われた空間がある。縦方向に切れ込みが入っていて、そこから内部を覗き込むようにして見る。ゆらゆらと揺れる布のスリットは左右に動いて、はっきりと中を確認できない。展示物のひとつであるカーテンに触れてよいのか、一瞬躊躇する。すきまから少しだけ、覗いてみる。その隠された部屋には、奥の方に流行遅れの装いをした30体のトルソーが並び、手前のスペースに書籍が積み重ねられている。一歩前に出て中を見てみるが、どこか後ろめたさを感じる。展示室奥の目立たない場所にある、《衣装の隠れ家》だ。トルソーを使ってドレスを並べ、書籍が綺麗に積み上げられた様子からは、個人的な嗜好に沿って蒐集したものをディスプレイしているようにも見える。他人のコレクションルームをのぞき見しているような気分になり、どこか居心地が悪い。

しかし、それらが《夢と記憶が出会う場所》に登場する衣装や小物の実物であると気づいたとき、一瞬、森村の手の内が見えた気がした。ワタシたちの衣装と書籍がどのように関連付けられるのか、色々思案するものの答えは出ない。30人の女性への変身は男性である森村が抱いた「夢」なのか、時代遅れのファッションや古本は「記憶」なのだろうか。隠れ家を覗くための切り込みは5つあるが、どの場所からも30体すべての衣装と書籍を一度に見ることはできない。近づいて細部を見てみたくなるが、分厚いドレープが森村の「夢」や「記憶」へ侵入しようとするのを、決して許さない。また煙に巻かれてしまった。夢と記憶の迷宮から、私たちは抜け出せない。

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森村泰昌:ワタシの迷宮劇場
京都市京セラ美術館 
2022年3月12日-2022年6月5日

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吉田理紗|よしだ・りさ
1997年生まれ。京都芸術大学大学院芸術研究科修士課程修了。京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科博士後期課程に在籍。1990年代以降の日本現代美術を研究している。 アートをテーマに対話する「超域podcast」を配信中。https://podcasts.apple.com/us/podcast/超域podcast/id1609051564

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