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"メディア"というコミュニケーション

皆さんおはこんばんにちは!
(4346文字/約6分で読めると思います)

佐藤可士和さんのカンブリア宮殿をみて、「こんなデザインなら誰でもできるじゃん」って言われつつも、「"俺でもできる"っていう時点で構造が理解できてるから、一発で頭に入って記憶に残る。僕にとっては褒め言葉」と仰っていて、まんまと感もあるし、そんな一見すると俺でもできると勘違いされるデザイン(もちろん計算し尽くされている)を大企業のロゴとして採用させてなおかつ世間に認知させる腕力はもはやデザイン暴力団だと思った今日この頃です。

そんな佐藤可士和さんですが、同番組で「レシート、紙袋、看板、CM、お店も、人の目に入るものはどんなものでもメディアになる」と言及していて、かなりなるほどなぁと思いつつも、そもそもメディアって何だっけ?と自問自答してしましました。

"メディア"と言われると、テレビや新聞などの報道機関のことがパッと思い浮かびますが、英語から直訳すると手段、期間、媒介物という意味を持つ「medium」の複数形らしいです。

日本語だとよく、「メディアの偏向報道が、、」という文脈で使われることが多いので、メディア = テレビや新聞などのマス向けの報道として捉えがちですが、あくまでメディアに含まれる意味の一つであり、他にも中間、媒介物という意味を持っています。そんな感じで、分かっていそうで分かってなかったメディアについて、改めて理解していければなと思い、書いてみたいと思います!

"媒介物"としてのメディア

Wikipedia先生に聞いたところ、以下のように説明されていました。

メディア(media)とは、情報の記録、伝達、保管などに用いられる物や装置のこと(媒体などと訳されることもある)で、記録・保管のための媒体であり、コミュニケーションのためのもの。

ここでいう媒体というのは、2つのものの間に立って、両者の関係を取り次ぎしたり調整したりすることもののことを指します。媒介物としてのメディアは何と何をどのように繋げているのかという話ですが、 ある情報を、言語、非言語問わず、伝達したり、未来へ保管する方法として、人と情報を繋げているという感じがしっくりきそうです

誰もが知っている一大メディアであるテレビは、自分だけでは把握できない時事情報をパッケージ化して視覚的に伝えてくれたり、人とは直接コミュニケーションが取れない法人企業に代わって、ブランド価値という情報をCMで伝えてくれたりします。

これらは視覚的な情報が中心ですが、聴覚に訴えかける音楽プレイヤー(今ではスマホで事足りますが)というのもメディアの一つと言えます。

ZORNさんの「My Life」という曲に『洗濯物干すのもヒップホップ』という一節がありますが、これも、ZORNさんというラッパーがヒップホップという文化に対してどういう態度でいるのかということを、つらつらと文章で語るのではなく、歌詞に落とし込むことで、聴き手に伝えています。(ほぼ言いたいだけの例で恐縮です)

音楽は歌詞があるので極めて言語的な伝達方法であるものの、その歌詞をありのまま伝えずに、あえて抽象化してぼやかすことで、解釈の余地は与えているという意味では、伝える情報自体は非言語的であることもありそうです。

一方の絵画やグラフィックは非言語的なメディアと言えそうです。「自分が思う美しさ」というのを情報として伝えたくても、それを正確に言語で伝達することは難しいので、多様な画法を用いた、非言語的なフォーマットに落とし込むことで、それを視覚的に解釈してもらうことで「美しさ」という情報を伝えることができます。

絵画の中には風刺画というものもあり、Ugojesseというグラフィックデザイナーが手掛けた「LIFE」という作品が個人的に好きなんですが、「本を読み、その知識を生かしてお金を稼ぐことで一番広い視野を獲得できる」という言語的な情報をあえて非言語的なグラフィックで表現することで、メッセージの伝わり方が直感的になるのもメディアの面白さであると思います。

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テレビや新聞、絵画など身近なもののことをメディアと言うのかなと最初は思っていましたが、情報の記録、伝達、保管などに用いられている、もしくはその役割を果たしているものであればなんでもメディアということができるかもしれません。

例えば、点検中の看板も立派なメディアの一つかもしれません。こいつを立てかけているだけで、「このエレベーターは定期点検中だから今は使うことができないので、入らないでください」という情報を見た人に伝達することができます。これが立っているだけなのに、本当に使えないのかどうかを疑うことなく諦めて階段を使う人が殆どだと思います。

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そういう意味ではメディアの力というのは図り知れず、存在しているだけで人間の行動そのものを変えてしまうこともあるようです。

例えば、点字ブロックなどは目に障害がある人にとって、どちらに進めばいいのか、どこで止まった方がいいのかという情報を触覚経由で伝達させることができます。ファブリーズなどの消臭スプレーも、人間が心地良いと感じる匂いをぶちまけることによって、「この空間は良い匂いです」という情報を嗅覚経由で人間に伝達させています。

信号も赤だったら「横断しては駄目」、青だったら「横断可能」と言う情報を非言語的に伝えているメディアですし、車のクラクションも「気を付けろ!」と言う情報を聴覚経由で伝えているメディアという見方もできそうでう。

こうしてみると、可士和さんが仰っていた「人の目に入るものはどんなものでもメディアになる」というのが理解できた気がしますし、広告以外であれば、目に入らなくてもある種、情報と人の媒体となっているメディアのような役割を果たしているものが沢山あるように思えます。

"メディアアート"という新境地

身の回りにもメディアと呼べるものは沢山あるということが分かってきましたが、ここ最近では、テクノロジーの進化によってメディアになりうるものの領域が大幅に拡張されてきているような気がします。

分かりやすいところでいくと、ARなんていうのがその最たるもので、例えば"PokemonGo"は、普段の日常空間を、ポケモンというルール上ではめちゃくちゃ貴重な場所という情報に置き換えることを可能にしました。そんな日常的なものから、中にはぶっ飛んだ使い方をしてこれまでにないメディアを使った表現を繰り広げているのが、"メディアアート"という領域です。

アートというのは、人間が抱く感情や、感覚、感性など、当の本人も言語化できないような何かを、非言語的なフォーマットで表現することによって、鑑賞者に同じような感覚を伝達する一種のメディアであると思っていますが、これまでのアートというのは絵画や彫刻という一定の制限の中で表現されることが殆どでした。

しかし、科学技術が盛り上がってきた1990年代から、表現活動にもテクノロジーを取り入れる動きが活発化し、それらは「メディアアート」として総称されるようになりました。表現対象である人間の感覚は変わらないけど、その感覚を表現する方法が拡張されたような感じだと思っています。

Rhizomatiksが手がける作品などは、その最たるもので、「discrete figures intro」という作品では、ダンスを、プログラムを駆使してコントロールされるステージや光と影とコラボさせ、これまでにない新しい身体表現の領域を開発しています。生々しい人間の動作とプログラムされた一糸違わぬ動きの組み合わせが異世界のような雰囲気を醸し出していますね。、。

exonemoが2020年に発表した、スマホとWebブラウザの2つの方法で接続できるオンライン作品「Realm」でもインターネットならではの新しいメディアの形を提示しています。スマホのディスプレイに触れると、その跡が、Webブラウザ上で同期的に表現され、同じ空間には共存していないものの、どこか互いの存在を感じ取ることができるという、不思議な体験をすることができます。

メディアアーティストとしても有名な落合陽一さんの作品の中で好きなのが「Levitrope」で、"lev(浮揚)"と"trope(回転)"からなる造語のタイトルにもあるように、ボールが空中に静止浮遊した状態でゆっくりと公転するそのビジュアルは神秘的で最初見たときは見入ってしまいました。

落合さんは「身体性を強烈に思い起こさせる」と説明していましたが、まさに何も介在していない状態で等速で浮揚し続ける球をじっと見続けていると、自分が重力に支配されている感が凄く、それを意識させるメディアというのは初体験でした。

このように、これまではテキストや、色、動画、画像などを用いて情報伝達されるものがメディアとされてきましたが、そこにテクノロジーが掛け合わさることで、今までにない新しいメディア表現を生まれてきていると言えます。

メディア領域の拡張

これまでのようなテレビや新聞、スマホなどから日常的に触れているメディア表現の中にも面白いものは多いですが、テレビであればその画角を超えることはできず、スマホであれば3次元的な奥行きを表現することはできません。物質的な看板であっても、固有の物質性以上のことを単体で表現することはできません。

しかし、ここにテクノロジーが掛け合わさることで、それらの制限が取っ払われて、ありとあらゆるものがメディアになり、どこからどこまでがテクノロジーかなんて境界は分からなくなっていき、もっというとそれがデジタルであろうが物質的なものかはどうでもよくなってくる気がします。(落合さんが言われているデジタルネイチャーに近いです)

個人的には言語的な表現は今の形から大きく変わることはないと思っている一方で、より非言語的な表現のとコミュニケーションの幅がどんどん広くなっていくのかなと感じます。何か不思議なものや、感動するもの、美しいと思うものというのは時代に合わせて、個人によっても変わってきますが、そんな再現性の低いものをテクノロジーでどんどん表現したメディアを通じて互いにコミュニケーションが取れたらそれはめちゃくちゃ面白いと思います。

アート表現の領域に限らず、みんなの日常的なメディアに実装していければ、ふとした瞬間がこれまでにない面白い形に変換されるかもしれません。具体的な形までは見えていませんが、どんな形だったら実装できるのか?どんな技術だったらいけるのか?という視点を、情報伝達媒体としてのメディアという切り口で今後も持っていければと思いました!ではまた!

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