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朝礼テーマ「夏休みの思い出」(2022.08.25宮坂)

JBNでは、毎朝の朝礼は当番制になっています。
毎回テーマが設定され、当番の人が発表します。今回のテーマは「夏休みの思い出」でした。

「夏休み」といえば小学生の時の記憶

夏休みの思い出と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは小学生の頃。
むしろ、それ以降の夏休みはほとんど記憶に残っていないほど。。。おそらく部活だったりアルバイトだったり遊んだりだったのだろうと思う。

私の小学校の夏休みといっても、田舎の小学生のど定番。
ラジオ体操・学校のプール・夏祭りや花火大会。
ラジオ体操カードを首から下げて毎朝近所の公園に通い、それが終わると片道30分の田舎道を歩いて小学校のプールへ通う。
THE夏休みでした。
ところどころのイメージしか覚えておらず・・(なんせ○十年前)大したエピソードもなくどうしようかなと思っていました。

毎年恒例、父の実家「山形」への旅行

父の実家が山形でして、長野からだと車で片道7〜8時間。
夏と冬の年2回くらいは毎年遊びに行っていたように思います。
幼い私と妹は飽きてしまうので、夜中に出発して朝到着するような日程でした。寝ていると着く感じ。
山形には祖父母+父の兄家族が住んでいて、同い年のイトコたちもいました。いわゆる二世帯住宅。

自分の家とは違う雰囲気や匂い、食べるものや文化の違いに毎回いろんな驚きがあったのを覚えています。

とある小学校低学年の夏。

なんと私1人で山形に滞在することになりました。
いつもは、祖父母も一緒に全員で食卓を囲み客間に寝泊まりしていたのですが幼い私1人なので、イトコ家族の世帯でお世話になりました。
同学年のイトコやまだ若い叔父ちゃん、叔母ちゃん。
いつも行く所謂「おばあちゃんち」とはまた違った雰囲気で、なんだか鮮明に覚えています。

初めて食べた、牛乳とバターで作った甘い卵焼きの味、叔母ちゃんの車の中で流れていた流行りの曲、プールの帰り道に寄った叔母ちゃんの職場(幼稚園)が綺麗でびっくりしたこと、イトコとひたすらスーファミでマリオカートで遊んでいたこと。

すごく些細な出来事ばかりが、すごく印象的で、未だに覚えているのでした。(他のことはほぼ忘れた・・・)

今更ながら気づいたこと

今回のテーマで、山形での思い出を自分なりに振り返っていて思い出したのですが、「そもそも、なぜ私は1人で山形に滞在していたのか?」ということ。

長野へ帰る数日前のこと

ふと、叔母ちゃんか祖母かに言われた一言。
「お母さん、具合悪くて大変ねぇ〜、心配だね〜」と。
その言葉を聞いた私は
”え?お母さん病気なの?なに?知らないけど、どういうこと?”
頭の中は、ハテナでいっぱい。それと同時に不安でいっぱいに。
父が迎えにくる数日間、心配で不安で泣きそうだったのを覚えています。(でも怖くて、誰にも聞けなかった)

そして、父が迎えに来る頃にはなんとなく状況を理解していたように思います。なんと、母は妊娠していて悪阻だったのです。
(母は悪阻がめちゃくちゃ重い人)

私には8歳下に弟がいるのですが、その弟を妊娠しており・・・
悪阻が酷く、夏休みでどこにも連れていけない+面倒みれないってことで預けたのではなかろうかと。。。

帰宅後、母に尋ねると「あれ?言ってなかったっけ?」とあっけらかんと言われ、「嘘でしょ、ひどい・・・私の不安返して」と思ったのはいうまでもなく。

子供の記憶って、何を覚えているかわからないもの。

今回のテーマで記憶を辿っていて、思わぬ記憶まで掘り起こした私ですが・・・思ったのは、子供の頃の記憶って何を覚えているのかわからないものだな、ということ。大人もそうかもしれませんが、特別なイベントよりも、些細な日常の出来事の方が鮮明に覚えていたりする。

ちょっとした一言をずーーーっと覚えていたりもするし、真剣に話したことは全く覚えてもらえていなかったり(笑)

なんか、そんなもんだよなぁと。
そして、自分自身も子供たちに対して気をつけなきゃいけないなぁと思いました。些細なことを永遠に根に持たれる危険性もある(怖)

記憶って不思議ー。

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