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岐路

「人は岐路に立ち、どちらかを選べる自由が有るのか?」
この問題を私なりに考察してみたいと思いますが如何?

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二つの道の行きつく先、つまり結果を知り得た後にどちらかを選べるのなら選べる自由に意味が有るのでしょうが、行きつく先の分からない二つの道のどちらかを選べる自由に意味はあるの?(だってどちらの道も想像に過ぎず実際の所は分からない!って言う事はどちらも同じだから)

さらにどちらかを選び進んだとして、暫く歩いて振り返ってみると高い所から見下ろさない限り、人間の目線では一本の道にしか見えませんよね!だから岐路なんて実際、ありませ~ん!(つまり岐路だと思うのは二股の手前だけに見える一瞬で、通り過ぎれば岐路なんて見えないのだから常住普遍なものではない!)

しかし誰しも「あの時あっち行ってれば良かったな~」なんて申します!でも実際に「あっち」に行ってどんな感じになるかわかりませんよね。それなのに「あっちに行ってれば」なんて後悔するのは、現状の不満のはけ口として妄想的な「あっち」を指定しているだけの様な気がします

結論を言いますと、何となくですよ…強く思うって程ではないのですが…何となく「岐路なんて無~い!」というよりも「岐路を前に選べる自由に意味は無~い!」と、思います!

何となくですよ…キツイ反論なんてやめてね…!

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