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第11回 海を渡る花

幕末、横浜港を窓口として外国と交易が本格化する中、意外な花が海を渡り、人気を博しました。

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「プラントハンター」とは有用植物・観賞用植物を収集するべく、当時のヨーロッパから世界中に派遣された人々のことです。そんな彼らが日本から持ち帰った植物の中で、圧倒的に受け入れられたのがユリの花でした。

はじめは、当時のヨーロッパのユリより大輪・華麗なヤマユリ・カノコユリが注目を集めたようです。しかし、のちにテッポウユリの需要がぐんと伸びていきます。これは、前者に比べて大量栽培に向いており、船の上で腐敗しづらいことが理由だったようです。
絵に描いたプラントハンターも、大量に、かつ力強く咲き誇るテッポウユリに興味津々です。

こうしてヨーロッパで人気に火がついたことで本格化したユリ根貿易は、明治に入ってしばらくした頃、外国商館から経営基盤を譲られる形で、日本人の手に渡ります。
中でも、総合植物商社として圧倒的な規模だったのが「横浜植木株式会社」です。横浜植木株式会社が発行した当時の海外向け植物カタログには、ユリのほかにも、花菖蒲、ボタン、ツバキ、カエデ、盆栽や釣りしのぶ(第8回参照)など様々な植木が掲載されています。

幕末から明治への移行期、このような経緯を経て横浜は一大植物輸出地となっていきました。

(笹井さゆり)



【参考文献】
日野原健司,平野恵『浮世絵でめぐる江戸の花』誠文堂新光社
【参考Webサイト】
https://www.yokohamaueki.co.jp/corporate/profile/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kotsushi/92/0/92_25/_pdf/-char/ja
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/document/picture/02.html
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/images/YAOH_hyakkaryoran.pdf


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