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【ホラー小説】eaters 第18話

◆あらすじと各話は、こちらから

「あの水槽を見て」
 
 小百合に言われ、瀬奈は水槽に目をやった。
 大きな水槽にいるのは、一匹の金魚だけだ。
 
「あんなにいたのに、もしかして瀬奈が食べたの?」
 
 小百合は穏やかな口調で訊いた。
 何を聞いても、平常心でいなければならない。
 
 抱えている疑問を解決するには、瀬奈の口から聞き出す必要がある。
 ここで取り乱したり、怒りをぶつけたりしては、話も進まない。
 
 小百合は静かに呼吸を整えながら、返事を待った。
 
「ごめんなさい。夜中とか、学校から帰ってきた時に、お腹が空いて食べちゃった」
 
 瀬奈が正直に謝ってきた。
 
「冷蔵庫にあった肉とか魚も、何度か食べちゃった」
 
 確かに、冷蔵庫の肉や魚も翌朝に消えていたのも多々あった。
 小百合は知っていて黙っていた。
 きっと、夜中に腹でも空かせたのだろうと、とがめる気もなかった。
 
「冷蔵庫の肉と魚はいいの。でもね、金魚は食べちゃダメ」
「うん、分かった。ごめんなさい」
 
「それとね……」
 
 まだ口も付けていない麦茶が、カランと音を立てた。
 氷がとけて、グラスにぶつかった音だ。
 
 静まり返る中、グラスに目をやった小百合は、言い掛けた言葉を飲み込んで、大きく息を吸った。
 
「神社で、二人の女の子が死んでいた事件、まさかと思うけど……」
「私じゃないよ」
 
 最後まで言い終わらないうちに、瀬奈が口を挟んできた。
 うろたえる様子もない。
 いたって冷静な顔をしている。
 
 その顔に、小百合の不安が大きくなっていく。
 
「同じクラスの子が死んだのに、どうして平気でいられるの?」
 
 瀬奈が初めて小百合から視線を逸らした。
 顔をうつむかせて、言いづらそうに口を開く。
 
「……イジメられてたの」
 
 小百合は言葉が出なかった。
 
 声を掛けてきてくれた真由子が、瀬奈をイジメていた?
 ……どうして?
 
「みんなの前で、お弁当を勝手に開けられたの」
 
 実際に弁当を開けていたのは、真由子の友達だ。
 だが、瀬奈にとっては、真由子の友達が勝手にやったとは思えなかった。
 
 真由子と、その友達と話していて分かったことがある。
 真由子が白と言えば、黒くても白だ。
 取り巻きの友達は、真由子の顔色を見ながら、その言葉に常に賛同していた。
 いつでも真由子は自分が正しいと思っている。
 反論なんて認めない、そんな雰囲気があった。
 
 弁当について教室で噂されていた時も、真由子はかばってくれなかった。
 勝手に弁当を広げられた時も、謝ってきた真由子の目は笑っていた。
 あれも真由子が仕向けたに違いない。
 
 瀬奈は、そう思っていた。
 
「どうして言ってくれなかったの?」
「だって、言ったって、どうにもならないでしょ!」
 
 瀬奈の本心だった。
 言ったところで「悪気はなかった」と返されたら、それまでだ。
 実際、真由子からそう言われた。
 
「それでも……」
 
 言葉が続かない。
 瀬奈がイジメに遭っていたとは、気付きもしなかった。
 小百合は、そんな自分に腹を立てていた。
 
 瀬奈が以前と変わったように感じたのは、そのせいだったのかもしれない。
 イジメられていた苦しみを、一人で抱え込んでいたのだろう。
 
 小百合は瀬奈の隣に座り、うつむいて小さく震える肩をそっと抱き寄せた。
 
「だから、斉藤さんが死んだと知っても、何とも思わなかったの」
 
 瀬奈がボソリと言った。
 
 小百合にしても今となっては、娘をイジメていた生徒が死んだところで、心も痛まない。
 むしろ……。
 
 いや、まさか、その仕返しに?
 
「瀬奈は斉藤さんのこと、恨まなかったの?」
「別に。慣れてる・・・・から」
 
 瀬奈の言葉は、小百合の胸を深くえぐった。
 
 もしかしたら、小学生の時から……?
 あんな格好で学校へ行かせていたら、想像も付くはずだ。
 学校では異質な存在だったに違いない。
 だからといって、瀬奈を脅威にさらさせるわけにもいかなかった。
 
 いくら反対しても、イジメに遭っていても、学校へ行きたがったのは、瀬奈の唯一のワガママだった。
 
 瀬奈にとって、何が正解だったのかは分からない。
 それは自分に対しても同じだった。
 瀬奈をどうしていいのかも分からず、今日まで過ごしてきた。
 
 イジメも、知らなかったわけではない。
 気付こうとしなかった。
 学校でどんな目に遭っているのかより、瀬奈の体調ばかりを気にしていた。
 
「二年生の子は……瀬奈の知ってる子だったの?」
「ううん、知らない。見たこともない」
「……そう」
 
 亡くなっていたのは、二人とも女子中学生だ。
 幼い子供でもなく、男の子でもなく、中学生の女の子。
 中学生にもなれば、初潮を迎える子が増えてくるだろう。
 
「もしも、学校で生理の子がいたら……どうしてるの?」
「近付かないようにしてる。同じクラスにいて我慢できなくなったら、保健室に行ってた」
 
「……そう。それじゃ、立て続けに帰りが遅かった日も、本当にコンビニで買ったものを食べてたの?」
「うん。体育があった日とか、同じクラスに生理の人がいた時とか、家に着くまで我慢できなくて、コンビニに寄っちゃった」
「……そうだったの」
 
「お母さん、私がこんなふうだから、心配だよね?」
 
 瀬奈が悲しそうな顔を向けてきた。
 
「瀬奈は悪くないの! 全部、お母さんが悪いの。お母さんのせいで……」
 
 新薬は、もちろん恩恵もあったが、それ以上に心配事が増えた。
 やはり間違いだったのだろうか?
 あの時、余計なことを訊いたばかりに……。
 
 かといって、新薬を受けなかったら、今でも瀬奈はマスクと手袋を欠かせなかった。
 
 抱えていた疑問は、瀬奈がちゃんと答えてくれた。
 それでも疑惑の炎は、完全に消えてくれない。
 今も胸の奥で、わずかにくすぶっている。
 なぜか、瀬奈を完全に信じ切ることができない。
 
 だが、納得しようと思えば、すべてが納得できる。
 今は瀬奈の言葉を……信じるしかない。
 
「お母さんが、瀬奈を守ってあげるから……」
 
 そう言って頭を撫でようとした時、瀬奈のスマホが音を鳴らした。
 小百合の手をすり抜け、スマホを手にした瀬奈がスクッと立ち上がった。
 
「お母さん、ごめん。友達・・から連絡が来たから、部屋に戻るね」
 
 瀬奈は笑顔を残して、リビングから出ていった。
 
 ……友達。
 イジメられていたというのに、瀬奈にはちゃんと別の友達がいた。
 
 小百合は拭い去れない不安を、その安心感で塗り替えようとした。
 
        ◆
 
 瀬奈はベッドで横になりながら、スマホを見つめた。
 届いたのは、ずっと待っていた海斗からのメッセージだった。
 
[明日、部活が休みになったから、町民プールで待ち合わせしよう]
 
 あれから瀬奈は、プールで衝動を抑えられる方法を考えていた。
 思い付いたのは、一つしかなかった。
 
 プールの底には絶対に潜らない。
 
 水面で泳いでいる分には、大丈夫なはずだ。
 水泳の授業でも、普通に泳いでいる時は大丈夫だった。
 問題なのは、潜りたくなる衝動を抑えられるかどうかだ。
 それさえクリアできたら……。
 
 何度もメッセージを読み返したあと、スタンプでOKと返す。
 すると、すぐに笑顔のスタンプが返ってきた。
 あふれる笑みで画面を見つめていると、少ししてまたメッセージが届いた。
 
[斉藤のこと、知ってるか?]
 
 瀬奈の顔が曇り出した。
 
[うん。びっくりしちゃった]
 
 そう返して、泣き顔のスタンプも送る。
 
 自分を邪魔する者は、もういない。
 母に疑われていたのも解決できた。
 
 天井を見つめる顔に、満足そうな笑みが浮かんだ。
 
 
[続く]

◆第19話は、こちらから


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