見出し画像

言葉の表現

文章を書いている人は、自分以外の方が書いた文章を読んでいて、何か引っ掛かると「自分だったらこう書く」と思う人は多いかもしれない。

実際に私も、とある商業小説を読んでいる時や、注意喚起のポスターを見掛けた時など、そう思うことがあります。

ただ、書き手によって表現の仕方はさまざまなので、意味が通じるのならそれでOKなのかなと多少の引っ掛かりはあっても、そのまま読み流します。

誤字脱字は別として「正しい日本語」が、必ずしも「正しい文章」とは限らない。
かつての「正しい日本語」が間違った使い方をされ、今では逆にそれが一般的な言葉として使われていることもある。

では、「正しい文章」とは?

正解は、一つじゃない。

同じ外見・行動一つを書くにしても、

純文学のように美しい文章として書くのか、エンタメ小説として軽いタッチで書くのか。
遠回しに伝えたいのか、単刀直入に伝えたいのか。
その場面はシリアスなのか、コミカルなのか。
視点は誰で、その人はどういう性格なのか。

と、状況はさまざま。

たとえば、

・悲しくて泣いた。
・込み上げてきた感情が、涙となって頬を伝った。
・あふれ出る悲しみが、私の頬を濡らした。
・止まらない涙が、さらに私を悲しくさせた。
・頬を伝う涙に、私は悲しんでいるのだと気付かされた。

同じような意味を持つ文章でも書き方はいろいろで、前後の文章とバランスが取れていて、意味が伝わるのならそれでいいと思います。
ただし、作文と違って小説は、ありのままを書くものでもないですが、書き方はその人の個性の一部でもある。

その一方で、文章の受け取り方も人によっては違い、実際に読み手がどう思うかまでは分からない。

簡潔な文章が好きな人。
重厚な文章が好きな人。
スッキリハッキリ書いてほしい人。
そこから想像を膨らませて読みたい人。
きちんと解決してほしい人。
謎を残したままにしてほしい人。

書き手と同じで、読み手にもそれぞれ好みがある。

小説を書いていると、物語としての設定や展開だけでなく、文体そのものに対するご意見や感想を頂くことがあります。
私の場合、ストーリーを重視して簡潔な文章が好きな私と同じ感覚を持っている方に、評価頂いているような気がします。
(初期の頃の作品は、少し手直しが必要ですが……)

今回、この記事を書いたのは、先日、私の小説を読んでくださった方から、とあるご意見を頂いたのがきっかけです。
とはいっても、ここまで書いた内容は以前から思っていたことで、あえて書く必要もないだろうと思っていました。

そこで今回は、あ、そこに引っ掛かるんだ……。
と、思いもしなかったご意見でしたが、逆にちょっと新鮮でした。
確かに、そちらのほうが文章としては正しいのかもしれない。
しかし、しかし……ですよ?
小一時間ほどジックリ考えてみた結果、やはり私が目指しているものとは少しニュアンスが違うので、修正しないことにしました。笑

それが私の「コダワリ」であり、「個性」なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?