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2021/07/13 見通しが立たない不安を考える

見えない未来

未来を見ることはできない。だけど見えない未来に対してひたすら頑張れるほど人間欲はできていないと感じることもある。

そう思うと人間は常に不安を抱えて生きていることがある。どんなに楽観的でも、幸せでも、未来が見えない不安というのは存在するということ。

当たり前の不安

不安があるのが当たり前、とすると、その不安を恐れる必要はあるのだろうか。確かに不安があるからこそ準備して、その不安が実際に発生した時に適切な対応をできるようにしたいというのはある。

ただ、その不安につけ込んで今を生きようとする人も世の中にはいる。

溢れる不安に応える情報

誰しもが仕組み上不安になるのだから、世の中は「将来に対して何かをしましょう」という情報に溢れているのだ。

だからその不安と自分の今のリソース(つまり今の人生の時間)のバランスがおかしくならないように気をつけないといけない。

貯金した未来<今?

未来の不安のためだけに今を生きてしまったら、今しかできないことができなくなるリスクもある。そして大抵その不安のために貯金した「時間」は、お金以上に戻ってこない。

見通しを立てたい自分がいる。でもそれ以上に今を生きないと、きっとどこかで後悔する。将来の不安のために何かをしてこなかったことではなく、不安に駆られてその瞬間を生きてこなかった後悔。年齢を重ねれば重ねるほど若いうちに〜をみたいな話をするのは、その後悔があるからだろう。


不安があるのは当たり前。だからこそ見通しを捨てて今を生きる判断をするのも大事じゃないかなと思う。計画的に物事が進むことは正義だけど、人生そんなにシンプルなものじゃないって最近改めて思う。

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