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過去に綴った思い

人は誰しも毎日少しずつ何かしらの形で変化していく。
成長や老化のような物理的な変化から、考え方や意識などの精神的な変化まで自覚していないだけで、誰もが常に変化し続けている。
実際に、少しの期間会わなかっただけで、見違えるほど雰囲気や見た目が変わって美人になっていたり、かっこよくなっていたり、真面目になっていることがある。
その時の姿はその日にしか見る事ができないし、時が経てば当時の姿はもうそこにはなくなってしまう。
一見すると、ほとんど変わっていないように感じる身近な人物でも、実際には大きく変化していることだってある。
当然のことだけれど、少し切なさも感じる。

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見た目・姿の変化は現実世界だけに留まらず、オンライン上でも見受けられる。
このnoteでも、ぼくが過去に書いたエッセイを読み返してみると、自分なりに多少の変化を感じる事ができて、多少ながら自分を客観視することができる。
文章構成から表現方法、読みやすさなどが昔の物と最近の物とでは、ほんの少し変化があると感じた。そして過去の物より最近の物の方が、エッセイのクオリティやオリジナリティが高いと感じる。
抽象的な変化で具体的な変化までは自分でもわからないけれど、それでも変化していることに変わりはない。
ただ、これが本当に「成長という良い形で変化しているのか」はたまた「衰退または悪化という悪い形で変化しているのか」までは、はっきりと断言する事ができない。
自分の中では「質が高くなった」と少なからず成長を感じてはいるものの、実際に客観的に見られた時にそう感じる人が少なければ、あまり成長しているとは言えないと思うからだ。
他人の意見・評価はあまり気にし過ぎない方が良いとは思うけれど、多少は考慮すべきだとも思っている。
自分でできる客観視は、そこまで精度が高くはないのだから。

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僕は誰かに高く評価してもらいたいわけでも、成長を感じて一喜一憂したいわけでもなく、ただの趣味として自己満足の1つとしてnoteを始めた。
最近では、フォロワーやスキ・コメント数が徐々に増加していくごとに、客観的な評価を意識して期待するようにもなってきているが、決して最重要なことではない。
特に、エッセイを投稿した後の反応が数字で顕著に現れると、自分の変化に気付きやすくなる。
反応が増えると、「読もうと思ってくれる人が増えているんだな」「読まれるような内容・文章になってきたんだな」など、色々と自分なりに解釈して自己評価をする。
おそらく、僕が過去に綴ったエッセイを掘り返して読む人はいないと思うけれど、もし読む機会があれば「過去のぼくと今のぼくとでは多少の変化がある」という事を理解しておいて欲しい。
最近綴った物が1番最新のぼくで、過去に綴った物は過去のぼくの姿であるということ。

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