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社交不安障害(SAD)

2021(令和3)年4月、仕事を辞めた。
限界が来ていた。心身ともに疲弊し切っていた。
心療内科に通って8年が訪れようとしていたが、なかなか状態は良くならない。
そこへ、折からの新型コロナウイルスの蔓延による、感染防止・行動制限、そして相次ぐ著名人の訃報。
何もかもがぼくの心を押し潰そうとしていた。

仕事を辞めてからは、しばらく何もせず何も考えずに過ごした。ニュースも見ず、社会から距離を置き、自分の殻に閉じこもった。

そうすることで、仕事のストレスからは解放された。働いてないので、それは当たり前だった。だからといって、気持ちが晴れることはなかった。
かえって、これからの将来のことへの不安が日に日に増していった。

このままじゃいけない。

わかっている。働かずに生きていけるほど、世間は甘くない。
仕事を探さなくてはならない。
しかし、自分に何ができる?何がしたい?

何もない。

自分には、やりたいことも、できることも、何もない。

持っているのは、ネガティブな心と抱えきれないほどの不安感だけ。
賢い頭はない。丈夫な体もない。優れた技術も身につけていない。世間が驚くようなアイデアもない。不労所得を得れるような資産もない。

履歴書を書けば、職歴欄に書き切れない程の入退職で埋め尽くされてしまう。
他の誰かに勝っていることがあるとしたら、転職回数くらいだ。

とりあえずハローワークへ行った。
数社へ履歴書と職務経歴書を送ったが、不採用を告げる手紙と共に送り返されてきた。
当然予想していた通りだった。
そんな時、ハローワークの担当者から、障害者職業センターと障害者就業・生活支援センターという支援機関があることを教えられた。
藁をもすがる思いで、ハローワークのエントランスで速攻連絡した。
ここにも自分の発達障害の「衝動性」の特性が出ている。とりあえず深く考えずに行動してしまう。
この時には、すでに仕事を辞めてから1年半が過ぎようとしていた。

まず、障害者職業センターのセミナーを数回受けて、そこでの評価をもとに、障害者就業・生活支援センターを交えて、就職へ向けての方向性を決めるという段取りだった。

しかし、時期が年度替わりであったことが災いして、障害者職業センターの担当者が異動となってしまったため、障害者就業・生活支援センターへの情報提供が直接されることなく、中途半端なものになってしまった。
すでにそこでケチがついてしまった。

就職を支援するにあたって、今の状態では支援センターの方でも、企業側へぼくのことを自信を持って推薦することができない。ということで、精神科のデイケア「復職・就労支援 自立支援センター」の利用を勧められた。
そこでは、生活リズムの改善、作業能力やコミュニケーション能力の向上を図り、仕事に必要な基盤づくりを行うプログラムを、看護師・社会福祉士・作業療法士の指導のもと20名程度のクラスで就労へ向けて取り組んでいくというものだった。

とりあえず、週3日午前中通うこととした。
5月の下旬から、毎朝5時半には起き、デイケアのある月・水・金曜日には、片道1時間ほどかけて通い、様々なプログラムに参加し、少しずつ社会復帰への段階を進んでいることを実感し始めていた。

しかし、通い始めて一月が経った6月の下旬。水曜日の午前中に心療内科の通院日と重なるため、火曜日のプログラムに出席しないかと、デイケアの担当者から提案があった。しかし、その日予定されているプログラムが、ぼくが最も苦手とし、あらかじめ避けたいと伝えていた「プレゼン(個人)」であった。
人前で話しをするのが苦痛であること、知らない人の前で自分の意見や考えを主張することに恐怖に近い感情を抱くことを伝え、できれば参加したくないと行ったのだが、担当者は「他にも苦手に思っている人もいる」ということと、「何度かやれば次第に慣れてくる」からと、参加することを勧めてくるので、断りきれずに承諾してしまった。断ることができなかった自分を不甲斐なく思うし、流されやすい性格にも嫌気がさす。

結局、そのプレゼンのプログラムで、ぼくは心を折られてしまった。

その日を限りに、デイケアへ通うことはやめた。

そして再び、自分の殻に閉じこもってしまっている。

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