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「嫉妬」してくる人よりも「応援」してくれる人と一緒に居たい

コロナショック以降、人との関係性について考える機会が多くなった。友達であれ恋人であれ、距離感の取り方や価値観の相違とどう付き合っていくか考えなければいけないフェーズにきているのだと思う。

そんなことを考えながらネットサーフィンをしていたとき、あるサイトに書かれていたフレーズにハッとした。

彼氏はささいなことで嫉妬します。でも、パートナーは、あなたの成功を全力で応援してくれます。(出典:TABI LABO

最初はよくある恋愛の名言みたいな感じだろうな、と思ってサラっと流したのだが、数時間が経っても脳裏から離れない。そこでこのフレーズについてしっかり考えてみることにした。

信頼関係の希薄さから来る嫉妬感情

「ささいなことに嫉妬し、成功を応援してくれない」

これは私が何度もnoteにて言及している、韓国人の元カレに対して不満に思っていたことと綺麗に合致していた。彼は私に対して常に嫉妬の感情を向けていた。バイト先に男性従業員がいるだけで嫌がり、もちろんInstagramのフォロワーに男性がいるのも嫌がった。

その根底にあるのは彼と私の間にあった信頼関係が希薄なものだったという事実である。私は彼を信頼していたけれど、彼は私のことを信用していなかったのだ。

過剰に束縛をする人に限って浮気性だったりする、なんて言説を聞いたことがある人も多いだろう。結果として彼は出会い系アプリをやっていたわけだし、他の女の子とも連絡を取っていた。

相手の立場になって考えるということ

嫉妬を愛情の表れとして捉えることもできるかもしれない。彼から愛されていると目に見えて実感ができるし、全く嫉妬をしない関係性に愛情は存在しないのかもしれない。

でも、少なくとも私は、そんな恋愛は中学生で終わりにしたい。嫉妬させるために男友達と必要以上に仲良くしたり、連絡の頻度で駆け引きしたり。自分の気持ちに素直になったほうがお互い気持ちよくコミュニケーションが取れるのは考えずともわかることではないだろうか。

「これに興味があるから、将来はこういうことがしたいな」ということを彼に話したときに返ってくる言葉はいつも決まって「で、韓国にはいつ来るの?」だった。「韓国系情報サイトでライターとかやりたいな」と言ったときには「俺とのこと書きなよ」。

なんだかすごく悲しかった。私という存在を彼を媒介してしか認識できないようで、だんだんと彼との会話自体に虚無を感じるようになっていた。

過剰なほどに「おめでとう」と言ってくれる人の存在

自分が心地よくいられない空間をつくる人との関係性を、無理に継続させようともがく必要はなかったと今では思う。私の「成功を全力で応援」してくれる人たちと一緒にいる時間の方が格段に大切だし、有意義だ。

「バイト受かったよ」と言うと、「なんでもっと早く言ってくれなかったの!お祝いしなきゃ!」。「こんな記事が出たよ」と告げてもいないのに「記事読んだよ、すごいね!」と言ってくれる人。

こんな人たちとの時間を大事にすべきだと、今なら思える。彼との関係に嫌気がさした、そんな経験が今の私を形作っている。だから彼には嫌いとすら思えないほどに何の感情も残っていないけれど、感謝の気持ちはここで書き残しておきたい。

Love yourself firstと刻んだ左腕に語り掛けられた気がした。

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