怒りの対処法
ワタクシは常に「怒りの灯」を抱えていると実感している。
ときに「加油」とかいて「頑張れ」を意味する香港では、そんなワタクシの怒りの灯に、赤の他人が、油どころか、ガソリンをぶっ掛けてこようとする。
道の端と端を歩いているのに吸い寄せられるようにぶつかってくる謎のおじさんや、自らぶつかってきて跳ね飛ばされ、被害妄想はなはだしく「あいやーーー!!!!」と叫ぶおばさんに始まり、怒りの地雷は至る所に転がっている。一歩間違えば木っ端みじんに吹き飛ばされてしまう。
これはいろんな対人関係でも同じ
「あ、ぶつかるな…」
と、わかっているときに、
「自分はどく必要ない。だって、相手がおかしな動きをしてるんだから!相手がズレる…っていうか、元の位置に戻るべきだ!!」
という考えでいると、残念ながら98%はぶつかる。
ぶつかるし、自分が悪くないのに絶対に嫌な思いをする。
これが闘いなら全然勝ってない。逃げるが勝ちとは良く言ったものである。例え100%自分に非がなくても、勝つことは絶対に出来ないし、選択肢は、
・無傷で生き延びる
か
・相手も巻き込んで一緒に戦死する
かである。
残念ながらそこに「勝ち」の選択肢はない。
ぶつかってこようとする相手が、足元がおぼつかない、周りが良く見えない子供なら、ぶつからない様によけてあげる事に対して何の抵抗もないのに。
同じように、子供のまま大人になってしまった輩に対して、「あーぶつかるなよけてあげなきゃ」が出来る様になれば誰も傷つかないで済むのであるが…
先日、退職を発表した上司が
「あと1ヶ月半あるから、わからないことがあったら何でも聞いて!」
と目に涙を浮かべ笑顔でそういい放ち、早速、後日質問したところ
「なんでそれ知らないの?私がいなかったらどうしていたつもり?」
から始まり皮肉をたっぷり言われた。
いや、、、あんたがいなきゃ自分の方法でやるし、いなきゃいないで地球は回り続けるわよ
と思った上で、思いっきり「その発言どうなの?」って言い返そうとしたときに
路上でフラフラとぶつかってこようとする人を思い出し飲み込むことにした。
…してなかったら今頃キノコ雲が発生するほど爆発していたかと思われる。
えぇ、爆発を免れたので、同僚の命を救ったと思うことで良しとしようと思った所存である…。
「周りが見えなくてフラフラ走ってきた子供」を察知して、避けてあげる。
このイメージで許すトレーニングをしていこうと思う所存である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?