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シンガポールの怪談

シンガポールといえば、赤道直下で常夏の明るい国、そしてMarina Bay Sandsに代表される近代建造物が所狭しとそびえる超未来国家…そんなイメージをお持ちの方が多いと思います。

しかし、そのシンガポールでも意外なくらい怪談系のこわい話がけっこうあるのです。

シンガポール時代はコンドミニアム(日本でいうマンション)住まいでした。
母子で単身赴任ということもあり、家には住み込みのメイドさんがいて(シンガポールではメイドさんを雇うのが一般的で、多くの働く親の家庭で雇っています)あとは息子と私、という3人住まいでした。

入居して半年くらいは特になにも感じることなく過ごしていました。…というより、後から思い返すとちょっとおかしなこともあったのですが、特段気にすることもなく過ごしていました。

ある時、シンガポールでお世話になっていた先輩と話をしていた時
「ねえねえ、自宅にいると天井から”ゴロゴロゴロ”って何か大きめのガラス玉を転がすような音がすることない?」
と聞かれました。

改めて聞かれて初めて気づいたのですが、”ガラス玉を転がす音が天井から…”というのはすぐに思い当たったのです。
別に大きい音でもないので、今までまったく気にしたことはなかったのですが、たしかにそんな音がします。それも1週間に1回とか、そのくらいのまあまあの頻度で。

すると先輩は
「それね、何の音か解明されてないんだって。時々コンドミニアムで聞こえるっていう話なんだけど。一説には霊が天井裏で遊んでるって話もあるらしいよ」と。

え〜〜〜〜!怖すぎるんですけど!
本当にそんな怖い話、聞かなきゃよかった涙 と後悔した私。


だけど、その先輩に聞く前から、多少「シンガポール×怪奇現象」の話を聞いたことがありました。

そして、実際我が家でも「あれ?」と思うことが何度かあったのです。

当時住んでいた家の一番奥にMaster Bed Roomといって、私と息子が寝ている部屋がありました。しかし、リビングで仕事をしていると、誰もいないはずのその部屋なのになんか人がいるような気配がするのです。
しかも、時折その部屋にある洋服タンスをパタンパタンと開け閉めする音も。

そのたびに私は「メイドさんが洗濯物しまってくれてるのかな〜」なんて思っていたのですが、その直後にヒョイっとメイドさんが目の前のキッチンから現れるなどして「あれ、勘違いか」なんて思うこともありました。

先輩のそんな話を聞いてからはすっかり怖くなってしまい、その奥のベッドルームに、日本から持ってきた神社のお守りを置いたり常に電気をつけておいたりするようにしました。

ほどなくしてその家の契約が完了し、もう少しシンガポール中心部に近いところへ引っ越し、それ以降怖いことはおこらなかったのですが、今もあのゴロゴロゴロ音やタンスを開け閉めする音は耳に焼き付いています。

他にも、実は結構有名な心霊スポットがあります。

なぜシンガポールにそんな心霊スポットがあるかというと、ほとんどの話は太平洋戦争時の日本のシンガポール統治時代に起因する話です。

「ここでたくさんの中華系シンガポーリアンが日本軍に処刑された」
という場所がシンガポール国内にはいくつかあります。

多くの書物にも記録が残っている他、実は私の祖父のお兄さんが日本統治時代にシンガポールで裁判官をしていたこともあり、実際にそうした悲しい出来事があったという話を聞いたことがあります。

有名なところでいうと、ニーアンシティというシンガポール高島屋の入っているオーチャードのシンボル的な建物や、有名なマーライオン近くにある高級ホテルのフラートンホテルなども。

建物の壁には処刑された方々の霊が今もたくさん張り付いているらしい、とか、夜になると吹き抜けから叫び声が聞こえてくるらしいとか、そのような話をききました。

すべて「〜らしい」という話なので、どこまで本当の話なのかはわかりません。ましてや私には霊感なんてないので、ますますわかりません。

しかし、こうした話は過去の凄惨な歴史を風化させないものとしても一役買っているのかもしれません。

かつて、建国の父リー・クアンユーが、日本の統治時代を振り返り
「Forgive, but never forget (許そう、しかし決して忘れない)」といったことがあります。こうした怪談は、この精神に基づいてまことしやかに語り継がれている話なのかも、とも思うのです。

リー・クアンユーは、シンガポールの高速道路をはじめ、国家建設のかなりの部分を日本に学び、積極的に取り入れて建国しました。
それゆえか、シンガポールには日本好きの人が本当にたくさんいます。

飛行機で往復15時間もかかるというのに、日本に4〜5回行ったことがあるシンガポール人なんてざらです。

「日本の街が好き、日本の四季が好き、日本の文化が好き、日本人が好き…日本の全部が好き!」
こんなふうに言われたことも何度もありました。

だけど、ある時ふと戦争の話になった時、「戦争についてだけは、悲しい話になるし、日本の人に対して感情的になってしまいそうだから、やめよう」
こんなふうに言われたことが印象的です。

ちょっと怖さはありますがたとえ怪談話であっても、歴史を繰り返さないために役立っているとしたら、大事に語り継いでいくべきなのかもしれません。

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