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テレビも消してその場に座って

8月6日と9日に広島と長崎で行われている平和記念式典を毎年YouTubeで見ている。国内外の関係者や地元中高生の子供たち、被爆体験者や戦争経験者の方々などが炎天下の中参列して、平和と核廃絶に対する思いと願いを毎年世界に向けて強く強く訴え続けている。それぞれの式典で読み上げられる平和宣言や平和への誓いはその度に強く心を打たれると同時に、二度と起きてはならない最悪の事態が再び起こってしまうかもしれないという現実味が年々増してきてしまっているという事実をこれでもかと言う程に突きつけて来る。実際、核兵器数の減少傾向は冷戦の最盛期以来初めて逆転してしまうかも知れない所まで来てしまっているようで、その史上最低最悪な兵器のもたらす結果に世界で唯一晒される事になってしまった広島と長崎の声は、一体どこまで上げ続ければ世界の隅々の人の心にまで本当にちゃんとしっかり届いてくれるのだろう。

埼玉の実家に居た頃はその日のその時間になると市役所から黙祷のアナウンスが流れて、サイレンを合図にその時の一切を中断してテレビも消してその場に座って家族で一分間の黙祷をした。テレビでは各局で戦争に関するドラマやドキュメンタリーが放送されていて、この時期のお茶の間には嫌でも自然と戦争について想いを馳せる時間があった。それが家を出て都内に来るとアナウンスもサイレンも一切流れなくて、あの頃あんなにやっていたドラマやドキュメンタリーも気付いたら今では夜のニュースでちょっとやるだけ。戦争はお茶の間から完全に消え去って、もう本当にこっちからちゃんと意識を向けないと核爆弾の事なんてうっかりすっかり忘れてしまう。

広島県知事は挨拶の中で「誰だか分からないほど顔が火ぶくれしたり、目玉や腸が飛び出したままさまよったりした被爆者の痛みを、私たちは本当に自分の指のひどい火傷と重ね合わせることができているでしょうか」と世界に向けて問いかけていた。「相手の気持ちになって考える」と言うそれはそれは至極シンプルな、誰もが子供の頃に教えられる大切な心の在り方を、悲しいかな我々世界中の大人たちはこの期に及んでまだ出来ていない。「思いやり」が大切だってことは誰だって分かっている筈なのに、結局みんな自分の可愛さに手を差し伸べてばっかりで相手の事は何時も蔑ろにしてしまう。

「ヒロシマを共に学び、感じましょう」と、こども代表の男の子と女の子はその目を真っ直ぐ世界に向けて皆に呼び掛けていた。「平和をつくっていくのは私たちです」とも。

身勝手な大人のケツを拭かされているのは何時だって関係のない子供たちだってことに、世界の大人たちはそろそろ本当に気付かないといけない。



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