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NYクオモ州知事セクハラ疑惑に思うこと

セクハラ疑惑のニュースの前に考えて欲しい事

ここのところある意味でNYで一番ホットな話題の一つといえば、紛れもなくクオモ州知事のセクハラ疑惑問題だと思う。これに関しては色々と個人的に思うところがあるので書いていきたい。

まず、なぜここでセクハラ疑惑が出てきて彼が叩かれているのか、という大元の問題をみんなすっかり忘れてはいないだろうか。肝心なのは、彼が老人ホーム内で感染させてしまう可能性のある治療後の老人たちを無理やりホームに戻す政策を取った事により、クラスターが爆発してしまった後、それにより亡くなった人たちの数を正確に発表していなかったという点にある。

これに関しては、クオモ氏側にも言い訳があり、要するにホームで亡くなった人たちの数は発表したけれども、その後に病院で亡くなった人たちの数はカウントしていなかった、というものだ。

そのあたり、もともとは敏腕弁護士の彼がどう捉えてそう公表していたのかは定かではない。ただ、その部分は事実ともそうでないとも言えるむづかしい問題だ。

ロックダウンで戸惑う私たちには救世主だったクオモ州知事

私の個人的な印象では、確かに去年のロックダウンの時期、私たちにとってはクオモ氏はとても重要な救世主的な立場にいて、みんなが毎日確実に彼のスピーチに助けられていたと思うし、それに対する恩恵は計り知れないと思っていた人たちも少なくないだろう。

ただ、日本人の私がクオモ氏の政策に関して少しばかり”?”だったのは、Social Distanceや手洗いは強く要請していたけれども、初期の段階で、かなり長い間マスクの重要性を訴える必要性は重んじていなかった時期があった事だ。つまり、マスクに関しては、それこそ売り切れ状態というのもあったけれども、感染爆発前の時期では強くは訴えていなかった。

実際にそれをNY市民に示唆するのは市長の役目でもあるので、それに関してはこの過去記事に記載している。

そして、結果的に感染爆発が起こり、その後にクオモ氏は111日間の会見でみんなの心を持ち上げようと毎日努力した。これは確かに事実だと思う。

感染者の老人たちをどう扱うかの判断は簡単ではなかった

ただ、老人ホーム関係のことに関しては、半ば混乱の中で正しい政策が取れなかったという部分もあると思う。そして、それは未稀有のウイルス対策を指導する上では、ある意味確実な判断をするということは非常にむづかしい。

この街ではホームレスの問題も並大抵ではないし、普通に人情的にだけ考えれば、治療後に病院を追い出された後に老人の人たちをどこに持っていくのか、という問題は決して簡単ではないからだ。

ただ、冷静に考えれば、一定期間は別の場所に移ってもらう(例えばホテルや別の施設など)と言ったことも考えられなくはなかったのではないかと思うのだけれども、そこを強行に老人ホームに返してしまったのは、やはりその時の状況ではまずかったのだと思う。

ホームレスに関してはこちらの過去記事を参照に。

それにより発生したクラスターと、その後の死者数を見た時は、クオモ州知事自身も唖然としたに違いない。

ただ、その後は、そのあたりの事に関する釈明にフォーカスする以上に、とにかくみんなを助けるヒーローとして毎日スピーチの壇上に上がり続けたのが、その後の彼がやってきた行いだ。

もちろん、それは本当に私たちには必要な時期だったし、彼のスピーチにメンタル的に助けられたニューヨーカーの数は計り知れないと思う。

まだコロナ収束ではない時点での出版やエミー賞には疑問符の声も

ただ、それ以外に私がもう一つ”?”と思ったのは、秋になり、完全なロックダウンも緩んで来て、クオモ氏がいきなりパンデミックで自分がどう戦ったかという事を本にして出版した時だ。

もちろん、こういった危機的な状況に際し、どうリーダーシップを持って戦って来たのかをみんなに公表するのは決して悪い事ではないと思うけれども、実際にはまだパンデミックは終わってはいない。NYの場合は単純に第一波の全米一の大きな山場を乗り越えただけだ。引き続き、コロナの感染は世界中で広がっていた。

それに際し、この時期にあたかも全てが収束したかのように、このような見方によっては手柄本的なものを出版してしまってもいいものだろうか、と少し疑問に感じたのを覚えている。もちろんそこには何らかのコマーシャルな目的があったのは確実だとは思うのだけれど。

そして、その後には、111日間の名誉のスピーチのたまもので、テレビ界で優秀な貢献をした人たちに与えられる2020年の国際エミー賞の功労賞というものを彼は受賞している。これに関しては、コロナで身内を亡くした人々からは、彼自身が状況を謹んで考え、受賞を引き下がるべきだとの意見もあった。

確かに彼の111日間のスピーチのリーダーシップぶりはある意味素晴らしかった。そして、それは彼の最高のプレゼンだったに違いない。ただ、自分をどう見せるのか、という事に彼は命をかけすぎた余り、大きな失態をしてしまっていたのもまた事実だったのかもしれない。

その事がここに来て、問題として顕になって来ている。ただ、それはセクハラとは直接は関係ない。

大上段に躍り出たヒーローを引き摺り下ろしたいのが人々の本音?

でも、人は一回持ち上げられた人を引きづり下ろす時には徹底的に叩き上げるのが好きだ。メデイアもそうなると容赦しない。そして、それが女性がらみ、セクハラ絡みとなるとアメリカという国ではいとも簡単にその立ち位置を引きずり下ろせたりもしてしまう。

実際、今回言われているセクハラの内容とは、真偽のほどはさておき、一人の元職員の発言による突然キス事件は仕方がないとして、それ以外は、やや高齢の男性の若い女性に対する言葉遊びのレベルというか、日本のガールズバーなどでよくやり取りされているレベルの会話のような感じのものだ。

これに対してクオモ氏は、自分は冗談を言ってみんなを和ませるのが好きだから、こういったことを敢えて発言してしまったりする時もあると言っているのだけれど、イタリア系アメリカ人のこの世代の独身男性の中では、その手の会話はそれほどシリアスなものとは思われてはいない部分は確かに全くないとは言えない。(良し悪し、好き嫌いはともかくとして。)

そして、イタリア系の人たちは、やはり女性に対しては必ずしも直接的に性的な意味を持たない気軽なボデイタッチも一つの挨拶がわりと考えている人たちも決して少なくはない。それは一種のカルチャーとも言える部分だ。

だから、それに関しては、あまりにどうのこうの言ってももはや仕方がない部分もあるのだけれども、もしもキス発言がなかったとしても、この状況で一度ヒーローとなったクオモ氏を引き摺り下ろしたい人たちにとっては恐らく徹底的に掘り下げるべき部分となっていたに違いない。

過激な引き摺り下ろし報道の下にある人々の嫉妬の本音

そして、そういった事は、報道の仕方によってはどうにでもなる。特に日本のようにスキンシップや人とのフィジカルな交流の習慣がないカルチャーの国では、いくらでもとんでもなく不潔であるという叩き方も出来てしまう。

でも、人がそういう引き摺り下ろしが好きなのって、外部からの政治的な目論みなどはあったにせよ、なんだかんだ言っても中心に来る感情は、嫉妬ややっかみも大きな要因のようにも感じてしまうのは私だけだろうか。

結果として、クオモ氏は、現在知事宣言を制限される直前であり、州議会の許可なしにコロナ対策を決定してはいけないという決議にまでなりつつある。

もちろん、理由はどうあれ、彼が数字を公にせずに、自分のポジションを守ろうとした行為は良くない。ただ、それに対して、最後はセクハラ報道で叩き潰すやり方に持っていく大衆心理に関しては、正直あまり健全な感じがしない。

なんだか、この件に関しては、いろいろと考えさせられる部分が多い。









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