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NYと日本の架け橋だったピート・ハミル氏

元ニューヨークポストの記者であり、アイリッシュバックグラウンドのブルックリン生まれの作家であり、映画の脚本なども手がけて来たピート・ハミル氏が亡くなった。彼はもちろんニューヨークで人気の作家であっただけでなく、日本でもすでに報道されているかもしれないけれど、70年代に作られた山田洋次監督の幸せの黄色いハンカチという映画の原作となった幸せの黄色いリボン(Going Home)の原作者でもある。

この原作は、もともとはニューヨークストーリーズという彼の短編集の中のストーリーで、ある若者がバスの旅で知り合った務所帰りの一人の男性が語った、家に帰って奥さんが自分を待っていてくれたら黄色いリボンがオークの木に巻き付けてあるはずだという話から日本風にアレンジされて映画化された。

この話がどういう流れで日本映画にまでなったのかの事情は私は良くは知らないけれども、私が今回NYと日本の架け橋として話したいのはこの映画に関することではない。

まず、ピート・ハミル氏には青木冨貴子さんという同じくジャーナリストの日本人の奥さんがいた。80年代に渡米し、ニューズウイーク日本語版のNY支局長を務めていた彼女は、その間にピート・ハミル氏と知り合い結婚した。

そんなわけで、そもそも日本と縁のあるニューヨーカーであるピート・ハミル氏の「東京スケッチブック」という本を、短期滞在で初めて訪れたNYを後に帰国した際に文庫本で読んだ時、私はその観察力にとても衝撃を受けた。

この本は相当昔に読んだのと、日本に置いて来てしまっている上に、すでに中古本の扱いで、Kindle版での復習もできない状態なので、今は古い記憶で語るしかないのだけれど、この短編集の多くの話は、希望に胸を膨らませて憧れの国であった日本に滞在することになったアメリカ人たちが、日本人がどのように外国人を見ているのかというシビアなリアリテイに直面し、日本人の表裏のギャップのある分かりにくい対応に困惑したり胸を痛めたりしながらも、人としての接点を何とか探して行きたいと考える、というような切なる内容をテーマとした日常的なストーリーが多かったように記憶している。

つまり、今私がここNYにいるのと全く逆のヴァージョンの話なのだ。それもあってか、当時の私は非常に興奮してこの本を一気に読み終えた記憶がある。

やはり、完全にバイリンガルでもない限り、言語の違う海外に滞在する外国人にとっては、コミュニケーションの悩みは常に付きまとうし、相手の言動が理解できなくて苦しむ事やそれによって生じる誤解のようなものは何年住んでいても簡単には解消されない部分も少なくない。

だから、本当に他の国から来た違った言語やバックグラウンドの人たちを理解するというのは、一生もんだと思った方がいいぐらいだ。でも、違うからこそ違う中で”同じ”を感じた時の煌めきもまたひとしおだという部分もある。その共感は私たちに希望を感じさせてくれるから。

そういう意味では、ピート・ハミルのこの一冊は、立場こそ違え、私たちが違ったカルチャーの国に住むという事でどういう気持ちを感じたり、どういう経験をする事があるのかという事をある意味とてもリアルに教えてくれるストーリーだと思うので、少しでも海外や国際交流に興味がある本好きの人にはもしも可能であれば、是非読んでほしい。

そして、ピート・ハミルは、もともとはデザイン系の学校を卒業していてデザイナーをしていたせいもあり、恐らくヴィジュアル的な観察眼が鋭いせいもあるのか、日常生活の中に見る人間の描写が客観的ながらもものすごくリアリテイーがあって、それぞれの物語を彼なりの優しさと愛のある目線で語っている部分は、さすがにニューヨーカーだなあと思わざるを得ない。

そんなわけで、今回ピート・ハミル氏という偉大なニューヨーカーの作家を失ってしまった影響はこの街にはとても大きいと思うけど、私としてはこの機会に中古本となってしまっている彼の素晴らしいストーリーの日本語の翻訳本が、何とか再販またはKindle扱いになってくれないだろうかと今は本気で願ってやみません。


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