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NYはアメリカではない?

今回タイトルにしたこの言葉は、私が渡米前に米国在住経験者から聞いたり、また、渡米後に現地の人たちから聞いたりした言葉だ。

これはどういう事かというと、要するに端的に言えば、日本に比べるとだだっ広いアメリカという国から見れば、狭い範囲で人種が混じり合う都会=平均的で一般的なエリアではないという事だ。

広大な土地を持つアメリカでは、ほとんどの地方都市に行けば車移動が普通だし、中心となっている都市部の面積もおそらく日本でみんなが想像しているよりも遥かに小さい。(東京のような巨大な都市構造がある国は、おそらく日本と隣接するアジア諸国の都市ぐらいではないかと思う。)

そして、都市部においても、人種がNYほど混じっているのか、と言えば、決してそんな事はない。もちろん、サンフランシスコとかLAのダウンタウンに行けば都会的な人種の混じり合いはある程度は存在している。

でも、地域によってはやはり白人の人たちが中心だったり、またあるいは黒人の人たちが中心だったりと、NYのように様々な人種が混じり合っているという様子はそれほど多くはないと思う。

だから、今回起こった悲劇的なアジア人ヘイトも、なぜ起こったかと言えば、紛れもなくアジア人というのはこの国全体から見たらマイノリティに他ならないからだと思う。

そして、地方に行くとそれぞれの人種による地域別の住み分けもかなりはっきりしているので、その地域内でみんなが活動しているといった傾向は否めない。

これはNYだと犯罪が多発しているブロンクスやブルックリンの黒人エリアなどにも言える事だ。だから、たまたまそういったエリアに住んでしまっている日本人の人たちは、さすがに今回は生きた心地がしなかっただろうと思う。

例えば、2002年にリリースされたラッパーのエミネムの8Mileという自伝的映画がある。それは、自動車産業が廃れて荒廃した時期の90年代中盤のデトロイトで、8Mile Rdというストリートを挟んで、富裕層と貧困層、白人街と黒人街がはっきりと分かれている状況下でのエミネム演ずる一人の白人ラッパーの話だ。その8Mileの境界線を貧困層エリアで育った上に白人のラッパーがいかにして越えるかが、この映画の要ともなっているテーマだ。

参考までに、ラップのMCバトルで白人であるエミネムが黒人の人たちから圧倒的な支持を得る事に成功したエンデイングの熱いシーンはこちら。

この映画の中でも出てくる8Mileみたいな、通り一本隔てて全く世界が変わってしまう、住んでいる人種も違う、みたいな事はアメリカでは結構ある。

だから、マンハッタンに出てきているみんなは、そう考えると本当に混じり合っている。つまり、多人種との接触に慣れているってことだ。

そういう意味からしても、先日マンハッタンの街中で起こったアジア人女性への暴力事件は本当にショッキングだったし、HSPの私は外に出ると未だにどこか警戒してしまうぐらいだ。

こういった事件が発生する前の私の印象では、マンハッタンで出会う黒人の人たちは、比較的アジア人には好意的なイメージだった。その傾向が行きすぎると、男性は簡単にナンパしてくるような所もあったりはするけれど、黒人女性に関しては、どちらかと言うと単純にナイスだったり、問題が少ない対応をされた印象の方が強い。

そういう意味では、今回のコロナ騒動によって、すでに色々な判断がつかなくなってしまった人たちがいたってことは、ものすごく残念で仕方がない。

そして、今日は、ここのところのぐずついた天気の後、午後からは久しぶりに雲のない青空の晴天になったので、ダウンタウンのワシントンスクエアパークに行ったらすごく沢山の人が集まっていた。

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この公園はNYU(ニューヨーク大学)のエリアの中心にあり、学生にとっての憩いの場であるだけでなく、Sohoとユニオンスクエアの間に位置していて、常に文化の中心でもあり、ユニオンスクエアと同様にプロテストも良く行われる。だから、いつも様々なタイプの人が寄り集まっている。

晴天の今日は、例にもれず、本当に色々な人たちがいた。公園で座って話をしたり、芝生にぼーっと寝転んだりしている人たちはもちろんの事、楽器を演奏しながら歌っている人、スケボーで遊ぶ若者たち、イーゼルを立てて絵を描いている人、その手前では、フィルムを撮っている集団もいた。中心にある噴水の周りでは前衛のダンスパフォーマンスの練習をする人がいるかと思えば、チアガールみたいな子たちがダンスの練習をしていたり、噴水の向かい側ではクリシュナムルテイーというインドの哲学者の支持者と思われる麻の布をまとった集団が楽器を鳴らしながら楽しそうに歌っていたりもする。そのさらに向こうには、ラップを聴きながらノリノリの黒人の若者たちもいる。

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このパークでは、もちろん、誰も何も人には強制したりしないし、批判の目を向けたりもしない。だから、みんながこの自由な空間を青空の下で思い思いに楽しんでいるだけだ。

そしてそこでは人種ももちろんごちゃ混ぜだ。

隣に座っている人の肌の色が違う事なんで、誰も気に留めてはいない。

ある意味これがNYの本来のあるべき姿なんだけど、でも、それがアメリカではないってことになってしまうのは、実はとても残念な事かもしれない。

やはり、今回のコロナと暴動と選挙で見せつけられたアメリカの分断は未だに途方もないのが現実だ。

だから、この公園にいる人たちみたいに、みんなが人種や肌の色や出身や宗教なんかに関係なく、ただ好きなように存在して、他の人のやってる事にも干渉したり批判しないでお互いを認め合って生きていける方が、絶対にみんながいいバイブレーションでいられるはずだし、何よりもそういう場は誰にとっても気持ちがいい。

そういう本当の自由の国アメリカの居心地の良さをみんなが人種を超えて体験できたらどんなに素晴らしいだろう。

この曲を書いた時、ひょっとしたらジョンも当時のNYでそんな気持ちになっていたのかもしれないと今日のワシントンスクエアで思った。









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