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当たるも八卦当たらぬも八卦(所以信不信由你)

所謂スピリチュアルなもの、信じるか信じないかと言ったら?

わたしは、基本的にまじないや迷信の類は(もっと込み入った話をすると宗教観とも関係してくるがここでは触れない)、人間がこの世にあるコントロールできない事象をコントールしたい!という切実な願いから発展した、と思っている。原始的なものならば、獲物が取れますように/豊作でありますように=食べられる=生存しつづけたい、だっただろうし。太古のひとたちがコントロールできないものは神の仕業、と思考停止するのも科学的な発想がなかったと思われる昔なら無理はないし、自分達の力の外にある大きな自然の力=神様!と考えるに至っても不思議はない。その神様と会話したり懇願したりご機嫌を取ったりする際、神様に好まれるようなことをしよう/怒りを買わないようにしよう、となるのも(崇高な、と言いながらも神様を結構自分達と同じ人間らしいものとして考えるなあ、というツッコミは有れども)自然の流れだろう。

ただ、歴史や文明的営みを積み重ねて今の世に生きる我々だ。森羅万象が「科学的根拠」というか物理的因果関係を持つ(はずだ)と判ってきた現在、その太古のひとの非科学的脳内価値観のまま、スピリチュアルな「超常現象」らしきものを手放しに何かを信奉するのは違うのでは、と思っている。

従ってわたしは迷信やおまじないの類は基本信用しない、今日に至る。

ではそれと地続きにあると言っていい「占い」はどうか?この世には実にありとあらゆる「占い」が存在し、関わらずに生きるのが難しいほどだ。

多分、前述したこの世のコントロールできない何かをコントロールしたい、そこまで行かなくともせめて把握しておきたい、という動機で発展してきた分野だろう。

とりあえず衣食足りて雨風を凌ぎ文明的な生活を送る=生存する最低限の条件を一般人がクリアできるようになった現在でも、一番より良く生きていけるかどうかを左右するはずなのにコントロールが効かないものの筆頭は、多分「人心」。自分自身と相手の心、そしてそれが生み出す人間関係ではないだろうか。

そこにはまだまだ人間の身体、特に脳や神経と自身の性格形成やその他者への相互影響など科学的未解明の話が多いから、というのが大いにあるのではと踏んでいるが、兎に角玉石混交な「占い」の入り込む空間が大きい。

科学の発展した現在でも、その科学にスピリチュアルな事象を結び付け、まではいいのだが「それはXXという根拠があるから」ではなくて「運命だから」で片づけたい人たちがまだまだ多いみたいだ。手っ取り早く”ココロのスキマをお埋め”したいひとが多いのだろう。「当たるも八卦当たらぬも八卦」とは言いながら、事実その”八卦”に心を囚われる人が今でも数多存在していて、だから未だに雑誌やメディアの占い欄が無くならない(どころか人気を博している)のだろう。

日本の場合、科学に強引に結び付けて生まれたスピ事象の典型が「血液型占い」だ。

科学的に証明された「人間には血液の抗原の型が4種ある」という条件。

生まれつき持ったもので人間をカテゴライズする、という意味ではすごく運命や持って生まれた資質みたいなものと紐づけやすいのだろう、この半世紀くらいで一気に日本で広まり、国内では就職面接の検討項目にまでするようなケースがあるくらいだ(わたしもその被害に遭ったことがある)。

そもそも血液型、とはこの占いに使うABO型以外に今判明しているだけでも40種類以上の分類法*があると聞く。何故その中でわざわざたった4種類にしかカテゴライズできない型を選んだのか?とか人間の性格や運命はたった4種類にしか分けられないか?とかツッコミどころ満載…。

血液型による「占い」「性格診断」、成り立ちを鑑みるとエンタテインメントとしての「占い」枠だったはずで、ここまで皆が妄信するなんて狂ってる。その盲目的信奉度は、確証バイアス通り越して日本特有**のカルト信仰の類だ。

自分の場合、早い時期に世間様が何事も血液型性格診断と結びつける盲目度にドン引きし、日本に居ながらこれは人間の性格と関係ないだろうと確信を得た経験がある。

その昔母親が結構な血液型占いを大いに信用し、家族にも大いに適用していた。彼女的にムスメのわたしには「こうあってほしい!」と望んでいた性格がとある血液型に結び付いたらしく、それを何故か事実として適用していたのだ。医療、保健的な届け出やわたしの緊急時情報の登録(例えば小学校の名札の裏など)にも普通にその血液型を書いていたので、わたしはそれが出生時に調べられた客観的事実なのだと信じていたほどだ。だが、小学校3年のある日風疹に罹り血液検査を行ったところ、全く違う血液型を医師に宣告されたのだ。それを聞いた母の落胆ぶりを今でも鮮明に憶えている。

そして何より、実体験として違う血液型を宣告された瞬間に自分の性格がガラッと変わった事実も一切なく、そこで周囲がまるで一般常識のように「血液型が人間の性格を特定する」説を信じていることに一気に疑いを持つようになったのは言うまでもない(ついでに言うと、病院は輸血前に患者の血液型を検査すると雖も、その間違った血液型情報を背負ってるときに大事故などに遭わなくて本当に良かった)。


一方で、星空に基づく西洋式占星術(星占い)による性格診断の類や、中国式風水に基づく四柱推命(こちらでは生まれた年、月、日、時間の十二支と五行の各2文字x4要素の組合せなので「八字」と呼ばれる)という歴史的には学問の類とされてきたものがある。世界的には血液型などよりずっとこちらのほうがポピュラーなのは間違いない。

12星座いや最近は天体が変わったから13星座だ、とか或は十二支だというので、同じ頃に生まれたひとが全く同じ運勢や運命を背負うなんてあり得ん、と思うので運勢やバイオリズムまで語られると眉唾だなと判断しているが、蓄積されたデータ自体は自然科学と統計学とも言える面も多いので、条件付きなら一定の性格や思考傾向が見られるのには(誰がどう客観的に解釈したか、が大事なので見る人が見る限りにおいては)一理あるだろう、くらいには考えている。夏が暑くて冬が寒く、北が寒くて南が暑い、そして1年のうちそれぞれを経験する長さなんかは恐らく人の思考や性格形成に影響するだろう、とは信じるに足る。

今生活している中華圏などは、暮らしのものすごく身近なところに(その信憑性の多寡はあれども)風水や四柱推命が転がっている。大きな商売をするひとほど意外と信仰或は参考にしていたりもする。何なら香港政府の議員が年始に香港の運勢を占いに権威ある寺院へお参りに行き、それを大真面目?に世間が報道するレベル。一般人なら、家を買う/借りる時や転職、子供の命名なんかで皆がそれを自然に根拠とする風潮がまだまだ強い。

自分も判断に悩んだとき、調べてもらったりすることもあるが、くれぐれもそのバイアスに目が眩み過ぎて、自分も他人も何かを変に決めつけたり偏見を抱いたりしないように気を付けよう、と自戒しながら生きている。



注:* 日本では保険体育などの学校教育だけでもABO型、Rh型は教わるはず(21世紀の学校教育は知らないが)。                     ** 日本の外に出ると自分が病気になったり検査の機会を得るまで自分の血液型なんて知らないのが普通、という感じだ。況してや「血液型占い」何それ?なひとが殆ど。知っていても、恐らく日本の血液型カルトを輸入した近隣国(台湾や韓国は、それが多数派ではないが知ってるひとが比較的多い)くらいだ。因みに香港人の場合、日本或は台湾クラスタ、或は留学経験者で日本の「血液型占い」の存在を知ったひとが興味を持つくらいのレベルで、全く普及はしていない。



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