見出し画像

『変えられること』と『変えられないこと』を分けてみる


《今までの記事》
個別支援級に転籍して1年

「学校に行かないで…」と思うくらい追い詰められた理由


三男への怒りの裏にあった『自分への怒り』や『心の叫び』との葛藤。

最初に『変えられること』と『変えられないこと』、『変えられない代わりにできること』を分けてみることにしました。

耳がきこえないわたしが電話で謝罪ができないのは、どう頑張っても変えられないこと。
代理電話を使えば電話はできますが、間に人を挟んでの謝罪は避けたいので、手紙を書くしか方法はないという結論に。できないことに対する自分への怒りは苦しいけれど、手放すことにしました。

お相手の方のお手間をかけてしまいますが、「謝罪と共にお手紙での対応について丁寧にお礼を伝えることを大切にする」ことがわたしにできること。できることを精一杯やる。


そして、変えられることは、三男の他害が少しでも減るために親ができる対応を考えること。

『謝罪に時間を要するから』という事実は、三男に非はないので強調しないことにしました。言いたくなるけれど、そこは我慢です。お手紙を書く姿を淡々と見せるしかない。

いや、その姿は見ていないかもしれないけれど、お手紙を学校経由で渡していただくために持たせているので、感じることはあるだろうという淡い期待。「電話できないからお手紙なのよ」とさりげなく伝えてきました。

その一方で、わたしに何ができるのかな?という疑問がありました。

学校の環境から生まれてくる課題だと思うんだけど?
学校での課題を家で改善できることってあるの?

色々頭の中をぐるぐるまわり、答えが出てきませんでした。

他害の事実のみ報告を受けて、お詫びして…じゃなくて、どうしたらいいのかを学校と一緒に考えたいんだけどなぁという本音はあったけれど、
「先生は忙しいから、あまり時間をとらせないように」という夫の助言(?)で、胸の中にしまい込むことに。

そして、通級に週1回通っていたので、通級の先生にも相談。わたしの悩んでいることへの共感はしてもらえたけれど、解決策は出てこない。
お互い、他害の現場を見ていないので、具体的な案を見いだせないと思っていました。

周りにいる発達凸凹の子を育てているママさんにも聞いてみたけれど、たまたま他害はない、あるいはそこまで他害が頻出するわけではないケース。

ここまで頻出するのはうちの子だけなんだ…とますます追い込まれる自分。
我が子のことがわからないって情けないとますます落ち込む自分。
誰かに話しても余計に落ち込むだけだわ…と心を閉ざしそうになる自分。

その時に思い出したのです。四男が生まれてすぐ(三男は年中)に、発達に凸凹がある子を育てているママ向けに開かれていた講座に参加していたことを。
何かできることがあったかも?というかすかな直感がありました。

講座を思い出したわたしが次にとった行動について、引き続き書いていきます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?