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『夢』

 将来の夢。なりたい職業。小学校から高校までひたすらに未来のことを考えさせられてきた。そんな言及に追われるがままに夢をつくってきた。
 小学生のときはサッカー選手。中学校のときもサッカー選手。高校の時は大手ゲーム会社でゲームをつくること。どれも荒唐無稽といえるほどにありえないわけではなかった。サッカーは小学校から入っていたチームでは一番上手かったし、中学校の部活でも一番うまかった。高校はサッカーが強いところを選んで入った。高校では初めてサッカーで挫折した。一番になれなかったし、しばらくレギュラーにもなれなかった。最後の半年間はレギュラーとして大会に出ることもできた。けれど一所懸命だったぶん、プロにはなれないのだと確信してしまった。
 最後の大会を終え、僕のそれまでの夢は終えてしまった。自分にはサッカーでは生きていけないとわかり、無我夢中で勉強した。高校3年生の夏までサッカーしかしてこなかったから、勉強は全然できなかった。国公立は無理だと思い、3教科ではいれる私立大学を選んだ。努力することには慣れていたからなのか、一日中でも勉強できた。努力が報われたようで理系の私立大学では日本で一番偏差値の高いところに入ることができた。

 サッカーはやめた。スポーツをする気にはなれなかったから、趣味を深められるようなサークルに入りたかった。サッカー以外ほとんどしたことがなかった僕は何をすればいいのかわからなかった。入学式の日、帰ろうと歩いていると声をかけられた。ゲームサークルだった。僕は小学校を卒業してからいままでゲームをしてこなかった。そのあとも10回ほど他のサークルからも声をかけられたけれど、僕の頭にはゲームサークルのことだけが残っていた。一番最初に声をかけてくれたからか。それとも、小学校を卒業してからゲームをしていなかったからか。いままでの自分から最も遠いようなものに夢中になりたかったからか。自分にもわからなかった。
 僕はそれからちょうど一週間後にゲームサークルを訪ねた。いい人ばかりで、ゲームをしたことない自分でも歓迎してくれた。迷わずにここに入ろうと思い、その日のうちにサークルに入った。ゲームをする毎日はいままでの人生はただの義務だったのではないかと思うくらい楽しかった。夢を掴むためだけにやってきたサッカーをしていた時間すべてが、高校3年生の夏に全て無駄になって消えてしまったかのように思えた。
 大学2年生になったとき、これを仕事にできれば最高じゃないかと考えた。一年間ゲームをプレイする側として散々楽しませてもらった。この楽しさを自分が作って受け取ってもらえたら最高だと思った。それから、サークルではゲームをして、それ以外の時間は全てゲームを作る勉強と実践にあてた。半年くらいたって、簡単なゲームを作れるようになりサークルの人たちに遊んでもらう。
 「なんだよこのクソゲー」なんて言いながらみんなで笑っていた。楽しかった。これがゲームを作るってことなんだ。もっといいゲームを作って楽しんでもらいたいと思って、試行錯誤を重ねた。
 大学3年生の夏にはインターンが始まっていた。自分でも遊んだことのあるような大手のゲーム会社を手当たり次第応募した。ほとんど落ちてしまったけれど、一つだけ通り、ガッツポーズをした。
 インターンで現実を知った。まわりの制作能力の高さ、そしてアイデアの柔軟さ。何をとっても自分は足りていないものだらけだった。それでも諦めるわけにはいかなかった。

 大学4年生になり、本格的に就職活動がはじまった。僕は大手のゲーム会社を全て受けた。二次面接ですべてのゲーム会社からの不採用が決まった。落胆してる暇はなかった。とにかくどれだけ小さな会社でもいいからと受け続けた。一つだけ受かり、ホッとした。

 三年後、僕は仕事をやめた。25歳だった。夢とは程遠い仕事だった。ブラックだった。しんどかった。つらかった。いろんなものを吐き出しそうになりながら働いて、気がついたら体の中に何もなくなっているかのような感覚だった。もう吐き出せるものはいつの間にかなくなっていた。
 
 失業手当を貰いながら生活をした。最初の一ヶ月は死んだように生きていた。何もできなかった。何もなくなっている体に、何かが戻ってくることを待つことしかできなかった。ふと、大学の頃に買ったドストエフスキーの『罪と罰』が目に入る。格好をつけて買ってみたけれど読んだことはなかった。最初の数ページをめくってみると、スラスラと読めた。空っぽになった体の栄養になるかのように自然と自分のものになったような気がした。

 『罪と罰』を読み終え、僕は決めた。作家になろう。作家であれば、年齢は関係ない。サッカーみたいなスポーツは夢を見る限界がある。年齢的な制限があるから。大手のゲーム会社でゲームを作ることも無理だ。もういろんなことが全て遅い。逃してしまったら、もう手に入らない。でも作家はどうだろう。何回失敗しても、何歳になっても夢は潰えないんじゃないだろうか。50歳になっても、60歳になっても夢を叶えようと頑張れるのではないだろうか。これは無理だなんて思わなくていいのではないだろうか。いろんなものが衰えても、経験値がそれを補えるんじゃないだろうか。
 
 僕は夢を見たい。夢を見続けたい。諦めなくてもいい夢を見たい。死ぬまで見れる夢が見たい。

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