『死は生の中にしかありえないのだと言ってくれた』
生田が体感として死が自分のもとにも訪れるんだということがわかったのは30歳のときだった。生田は人が死ぬということはわかっていたし、自分が死ぬということもわかっていた。そんなことは小学校に上がる頃には常識として知っていたけれど、生田にとってそれは「歳をとったら記憶力は悪くなるし、体も動かなくなるよ」というお婆ちゃんの言葉とちょうど同じ重さだった。
死というものが目の前に現れるのはなんでもない瞬間だった。奴はひどく気まぐれで、唐突で、極端なやつだけれど、姿を表すときの共通点がある。人間がリアルから外れた瞬間にやつはやってくるということ。
自分の赤ちゃんが目の前にいる。仕事に追われている。夢中でゲームをしている。そんなときに奴は顔を出さない。もし、そんなときにも奴が顔を出したとすれば、そのときに出たのではなく、一度現れた奴がずっと纏わりついてきているということなのだ。そのことに生田は気がついていた。
生田は仕事を必死でするようになった。いままではそれなりにがんばって、程よく給料をもらって、趣味で楽しめるのが最高の人生だと考えていた。その当たり前が崩れ去った。人生観をまるごと変えてしまうような底しれない強さが奴にはあった。一度取り憑いてしまった奴はそう簡単には離れない。生田にできるのは奴と目を合わせないことだけだった。
忙しさは生田に少しだけ安らぎを与えた。本当に少しだけ。どれだけ目をそらしても、無視しようとしても奴は離れていってくれない。忙しさに追われている瞬間だけは奴は消えるけれど、30秒でも休むと、生田の目の前に現れた。生田はちょっとした安らぎと、完全な絶望を手に入れた。
「しょうがない」
生田はそういうと、顔を上げて奴と目をあわせた。奴の目はひたすらに黒く、深く、この世のものには思えなかった。
「そうか。この世のものじゃないのか」
生田は笑った。奴は表情を変えないで生田をじっと見つめる。その目は何かを伝えているかのように思えた。
生田はもしかしたら対話ができるのではないかと考えた。人はじっと見つめあうと目を逸らすけれど、奴は見つめあい続けても一向に目をそらさなかった。見つめ続けていると奴の姿は鮮明になり、だんだんと大きくなった。生田は怖くなった。それでも目をそらさずに見つめていると、そこで大きさは固定されて、形もはっきりとわかるようになった。
「なんだ。全然ちがうじゃないか」
人間や猫や虫や牛。いろんな生き物がいて、生きているけれど、奴はそれと反対の形をしていなかった。もし奴が生の対義語で、もし生と全く逆の存在なのだとしたら、生と全く逆の形をしていなければおかしいではないか。生田はそう思い、率直に奴にそう伝える。
「 」
奴は言った。
「 」
生田は理解した。奴には生田のことが見えていなかった。奴には何も見えていない。ただ、生田から奴が見えるだけだった。奴が生田を、人間を見ているわけではなかった。
「猫には奴が見えているのかな」
生田は家に帰ると、猫が玄関に居座っている。猫をじっと見ていると、猫もじっと目をあわせてそらさなかった。
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