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シクラメン

花言葉は遠慮がちな期待、内気…等々。







家族公演の後、友人とお互いの、いわゆる創作や表現、それらに対する私たちの姿勢みたいなものを話し合ってみました。

結果から申せば


彼は「生み出す人と享受する人を繋ぐ」と「限界まで不必要なものを削ぎ落とす」

私は「生み出す側」と「ありとあらゆる物を取り込む」

といった具合でした。

これは互いの生い立ちやその場所で話した新鮮さみたいなのもありますので上手く伝わるかは分かりませんが、彼の姿勢を聞いた事で自分の姿勢も多少は見えるようになりました。

まさしく、心理学モデルで有名なジョハリの四つの窓ってやつを互いに見てみた、という感じです。

・自分からも相手からも見えてる窓:「OPEN」
・自分からのみ見え、相手からは見えない窓:「HIDDEN」
・自分からは見えず、相手から見えている窓:「BLIND」
・自分からも相手からも見えない窓:「UNKNOWN」

の四つですね。


これらを私と彼は相手の「BLIND」の窓を見てその窓枠の材質や、窓枠の中の景色はどんな風に見えてるかを互いに共有してみました。

これがまた非常に面白い・・・私は全く意図してなかった所を突かれました。
その詳細は伏せさせて頂きますが、ご自身が大事にしてる方々と話しあってみてください。お互いの関係ってやつを外から観れるのでおすすめです。



この話を友人として、他己に対して出す作品にもっと深みを出したい一心に火がついたと形容しましょうか。
マグリット、ピカソ、デ・キリコ、カンディンスキー、ダリという五人の画家が幼き私にそうしてくれたようにもっと露骨に劇的に人生を変えられる、ないしは一生忘れることのできない一点を何個も何個も、命続く限り作り続けたい気持ちに、ですね。



ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンがご自身の生涯の何の何処に歓喜を以って第九を作ったか・・・
音楽をやる上で「難聴」という死に等しいレベルの苦悩、それでも不屈の精神で・・・そんな作曲家として世界に知られる彼があの音楽を最後に作った、そのきっかけは確か知り合いの知り合いである詩人の詩に強い興味を抱いたというのが背景で、長いことあっためてから発表した・・・みたいな記憶がありますが、
その事よりも、極限の絶望を知ったであろう彼自身が本当に「歓喜」を知ったのは(…おそらくあの有名な旋律を思い付くよりも前だとは思います…)それがいつ、何で、どんな状況で知ったのかを知りたいですね〜。


作品に深みを出すのは経験というものも一つの要素だと感じてますので、その辺、ルートヴィヒとは私が死んだ後に逢いに行って話し合いたいものですね〜。



私自身は死生観というのをコンセプトに撮ってますが、今現時点では腕不足も甚だしく「私はこう見えている」という事しか伝えられていません。
自分ではそう感じてしまいます。他己に対しての姿勢はまた違った物ですが。。。

いわゆる「作品」ってやつが個人にも世間にも強い影響を与えるのはご時世や運勢みたいなところも無視はできませんが、その中でも「誰にこれを見せ、何を伝えたいか」というのが強ければ強いほど後の世代まで残ってるような印象があります。

全てでは無いというのも大前提ですがね。


具体的に誰に見せたかったか、何を伝えたかったか、その核は作者のみぞ知るというところなんですが、チラリズムのように核膜が垣間見える作品というのは如何なる時代でも多かれ少なかれ人に影響を与えてきたと思います。



人物を撮影するにあたっても上記の四つの窓を使います。
「私からは見えていて、モデル自身からは見えてない窓」です。
「HIDDEN」の窓ですね。



長くなるので次の回に続きます。



お楽しみいただけましたら幸いです^^