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幕末の金沢にマリンブルーの部屋があったけど、理由をあててみてね。 

江戸時代、幕末の加賀藩、13代藩主の前田斉泰公が母の隠居所として建てた成巽閣(せいそんかく)2階の群青の間。当時、部屋の内装は朱が主流だったが、あえて青を取り入れている。フランスから輸入されたウルトラマリンブルーを用いた群青の景色を見てみよう。


■推理1  自然(日・月・星)への祈りの気持ちがあった。

中世の武士は星空を見て、明日の戦(いくさ)を占っていたようだ。沈む夕陽、月がうっすらと見え、一日の疲れを癒すときだ。現世では安穏な生活を送り、後世では善処に生まれることを願っていたのだろうか。現世利益を求める者は、自然界にあるものを神仏に見立てていたらしい。自然と一体となった生活をしていた中世の日本人は、日・月・星が人間の運命を支配することから、部屋の装飾に取り入れたのだろう。

1828年、フランスで発明された人工顔料マリンブルーを用いた群青の間

■推理2  日本海に面した地勢から海を意識する必要があった。

加賀藩が日本海に面し位置していることを意識していたのだろうか。外敵がいつ押し寄せるのかわからない、時代が移り変わる空気を感じ取り、これまでの内なる世界から外なる世界に目を向ける群青の環境を作ったのだろう。

■推理3  子から母への感謝の思いをストレートに伝えたかった。

それとも母の体が衰えるなか、いつでも空や海の青を部屋の中でも見ることができるようにしたい。有意義な余生を過ごしてほしい、子が母へ抱く自然な想いがあったのだろうか。

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