さだぼう

天神橋たもとの白い鉄骨にふれる幼な子。 この地に生きることを約束したかのように橋を見て…

さだぼう

天神橋たもとの白い鉄骨にふれる幼な子。 この地に生きることを約束したかのように橋を見て動かない。 ここには、人に寄り添う茶道が、能楽がある。何かを求め、夢のなかを歩き続ける。

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  • カラーストーリー 色でめぐる金沢

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あの世を体感する女性のための儀式 江戸時代、金沢から立山へ出かけた女性がいた。その理由(ワケ)は? 

 全ての罪を懺悔し、汚れを払った女人は、白経帷子の死装束を着け、白布を捧げて天ノ浮橋を渡る。生前に行なった罪により死後地獄に落ちると信じられていた。  この布橋は、あの世とこの世を渡す白道、生と死の境界である。諸国からの参詣女性が白装束で目隠しをして、閻魔堂(幽界)に入り、十王の審判を受ける。  この不安から逃れるため男性の間では、立山禅定登拝が行われていた、一方、立山は女人禁制であるとされ、女性の登山を許さなかった。  女性は必ず地獄に堕ち、極楽往生はできないと説かれ

    • こころはキャンプ。北陸のキャンプ場、3月。

      朝からユーチューブでキャンプ動画。すると、車の後部座席を倒してフラットに。キャンプ道具をとにかく入れた。そういえばソロキャンプは2年前にしたっきり。 さて、キャンプ道具といえばシェラカップ、マグカップなど。色々と買いあさっていたものをつめた。時間はもうすでに11時なので、行き先を決めずに出発。車は南へ、山へ。1時間ちょっとで2年前のオートキャンプ場に着いたら閉館中。 今日の気温は21度。春めいているが、北陸の山麓は雪が道路脇に残っている。食材の買い込みはしていないので、よ

      • 幕末の金沢にマリンブルーの部屋があったけど、理由をあててみてね。 

        江戸時代、幕末の加賀藩、13代藩主の前田斉泰公が母の隠居所として建てた成巽閣(せいそんかく)2階の群青の間。当時、部屋の内装は朱が主流だったが、あえて青を取り入れている。フランスから輸入されたウルトラマリンブルーを用いた群青の景色を見てみよう。 ■推理1  自然(日・月・星)への祈りの気持ちがあった。 中世の武士は星空を見て、明日の戦(いくさ)を占っていたようだ。沈む夕陽、月がうっすらと見え、一日の疲れを癒すときだ。現世では安穏な生活を送り、後世では善処に生まれることを願

        • 車中泊初体験 能登宇出津あばれ祭り

          仕事を終えて、いざ車中泊へと車を能登宇出津に走らせた。けどね、能登里山海道は、海沿いの道です。夜の景色は、暗い。能登の夜は街灯以外は、真っ暗ですね。 ――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーー 穴水町を通って、能登里山空港の駐車場で途中休憩です。すでに車中泊と見られる車が2台、トイレの照明が2台の車を照らしていた。 今日は、能登町宇出津まで、車中泊の準備。その前に仕事の靴、シャツ、パンツをカジュアルに着替え。なんやかんだで30分くらいが経ち、能登町

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        • カラーストーリー 色でめぐる金沢
          3本

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          餅臼を敷き詰めた舞台、そこは神が降臨し、村を代表する場。

          江戸時代、農村舞台の建てられた場所のほとんどが、社寺の境内か、その隣接地という宗教的な場所に限られていた。それは、神仏へ奉納する芸能を演じる場所としての舞台が、本来持っていた宗教的な性格を示していると考えられている。  農村歌舞伎舞台を仮設する一つの形式として、床下に臼(うす)を敷く舞台がある。重い臼をわざわざ持ち出し、使用後は疵をつけないように大急ぎで返却することを、単なる便宜のために行っているとは思えない。日本各地のどこでもに見られることから、臼という民具の持つ民俗性が

          餅臼を敷き詰めた舞台、そこは神が降臨し、村を代表する場。

          「朱鷺(とき)が舞う能登半島に。」97歳、孤軍奮闘の歴史。

           朱色の鷺を朱鷺と言う。村本義雄さん(97歳)は、そのように言う。確かにそうだ。高貴な色で平安時代、伊勢神宮の御神宝太刀の手で握る部分に朱鷺の羽根が2枚使われていたようだ。(須賀利御太刀:すがりのおんたち)  朱色の中でも朱鷺色は最高の色のようだ。富来町の増穂ヶ浦海岸にある桜貝もよく似た色だ。気多大社の遺跡に炎を使用した跡がある。祈りの儀式などが行われていたのだろうか。朱鷺色が能登半島によく似合っている。 分散飼育を10年ほど前からしている。朱鷺の放鳥ばかりが話題になるが

          「朱鷺(とき)が舞う能登半島に。」97歳、孤軍奮闘の歴史。

          この世は多くの色でできている。

          花殻つみをしながら花たちにおはようの声かけをする週末ガーデナー。 能楽堂や茶室に入り、伝統文化に触れて、昔からの行事や色にまつわるエッセイを書いてみたくなりました。

          この世は多くの色でできている。