見出し画像

デンマークの外国語教育とその必要性―移民との共生の視点から―【第二章:先行研究】

北欧研究所の石本です。私は、2023年6月から2024年6月までの北欧研究所でのインターンシップ期間に、個人研究論文を執筆いたしました。章ごとにnoteの記事を分けており、本記事は、「第二章:先行研究」となります。尚、その他の章は記事の最後に記載のリンクよりご覧いただくことができます。最後まで、ご一読いただければ幸いです。
文責:石本千智


2. 先行研究

2.1 デンマークにおける近代移民の背景

デンマーク統計局(Statistics Denmark, 2024b)によれば、2024年第一四半期時点でデンマークに住む移民の数は649,994人であり、これはデンマーク国内総人口の約10.9%を占めている。更に、移民に加え、デンマーク国外の市民権を持つ移民の子孫も含めると、それは全人口の15.9%を占めている(Statistics Denmark, 2024a)。ちなみに日本は、2024年1月時点で全人口124,143,000人のうち、約2.5%である3,091,000人が在留外国人である(総務省統計局, 2024)。両国を比較すると、デンマークは移民の割合が非常に大きい国家であり、多文化化が進展していることが分かる。

この実態の主な要因としては、近代以降の移民難民の増加である。その中でも、2011年にシリア国内で武力衝突(シリア危機)が始まったことで多数の移民難民がデンマークに流入し、2015年の難民申請者数は21,225 名、通常であれば難民認定者数は2000名程度までであるが、同年は10,856名と、通常の5倍近くの認定者数となった(新津, 2021)。更に、2022年2月にはロシアのウクライナ侵攻が始まり、2021年のデンマークへのウクライナ人新規移住者が1,900名であったのに対し、2022年の間には31,400名もがデンマークに避難・移住した(Statistics Denmark, 2024c)。デンマークは他のEU諸国と同様に、ロシアのウクライナ侵攻勃発によって発生している難民に対処するために特別法を制定しており、現時点でウクライナ難民は2025年3月17日までデンマークでの特別居住許可が与えられている(The Danish Immigration Service & SIRI, 2024)。

デンマークにおけるウクライナからの移住者数(Statistics Denmark, 2024cより引用)

2024年6月時点での、デンマークにおける移民とその子孫の国籍の内訳であるが、上位10か国まで多い順に、トルコ、ポーランド、ルーマニア、ウクライナ、シリア、ドイツ、イラク、レバノン、パキスタン、イランとなっている(Statistics Denmark, 2024a)。トルコ人やパキスタン人の多くは、1960年代からゲストワーカーとしてデンマークに移住してきた者であり、シリア、レバノンをはじめとした中東地域出身の移住者の多くはシリア危機によるものである。

デンマークにおける移民とその子孫の出身地:上位10か国(Statistics Denmark, 2024aより引用)

2.2 批判的多文化主義と外国語教育

2015年9月にギリシャの海岸に打ち上げられた3歳のシリア難民男児、アラン・クルディ君の遺体の写真の報道は、移民・難民に対する世界的な懸念と意識の上昇に繋がった(Alan Kurdi, 2015)。しかし、このアラン・クルディ君の死は移民の悲劇のほんの一部に過ぎない。これまで移民を取り巻く問題に関しては、移民少数派に対するテロ攻撃、人種差別的な事件、移民グループに対するヘイトスピーチ、そして急進右派政党の選挙での成功などが起こってきた一方で、そのような排他的な傾向に対する強い反発もあった(Green & Staerklé, 2023)。現代社会は、グローバル化した世界で社会をますます多様化させている国境を越える人々の絶え間ないこういった流れに対処する必要がある。そのうえで、移民と多文化主義とは、現代社会がますます複雑化していく点で、重要な問題となっている (Green & Staerklé, 2023)。

移民研究では、しばしば、社会政策や教育政策を構築するうえで取り入れられる多文化主義の概念について研究、発展がなされてきた (Green & Staerklé, 2023)。そのため、本節では、理論的枠組みとして批判的多文化主義を考察したうえで、外国語教育が批判的多文化主義的なアプローチにどのように取り組むことができるかについて先行研究を考察する。

第二次世界大戦後、武力紛争や大規模な自然災害、世界的な不平等の拡大により人々がより良い生活を求めるようになったこと、人の移動を自由化する新たな国際協定などにより、移住量は大幅に増加した (Haas et al., 2020)。 多文化主義の代表的理論家ウィル・キムリッカ(Kymlicka, 1995)が、移民の多文化主義に関する理論のほとんどは分離を目指すものではなく、むしろ宗教的・文化的マイノリティを主流社会に受け入れるための公平な条件を考案するものだと述べているように、「多文化主義」の概念が社会政策や教育政策に取り入れられるようになった (Green & Staerklé, 2023)。 1971年のカナダでは既に、ピエール・エリオット・トルドー元首相が多文化主義を政府の公式政策として発表し、世界で初めて多文化主義が国家の基本的特徴として公式に認められた(Kastoryano, 2018, p.1)。また特にカナダ・アメリカ・イギリス・ニュージーランド・オーストラリアでは、1990年代までには、多文化主義が教育の基礎として取り入れられてきていた(May & Sleeter, 2010)。

多文化主義は、異なる文化や民族の権利を尊重し、多様性を認めることを提唱していたのだが、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の勃発あたりを機に、社会における反多文化主義的な思想と、多様性それ自体のメリットに対する懐疑的な見方が広まって行った(May& Sleeter, 2010)。例えば、2011年、デービッド・キャメロン元英首相がミュンヘン安全保障会議でのスピーチで、以下のように演説したものがある「国家による多文化主義という教義の下で、私たちは異なる文化が互いに、また主流から離れ、別々の生活を送ることを奨励してきた。私たちは、彼ら(若いイスラム教徒)が帰属したいと感じるような社会のビジョンを提供することに失敗した」 (State multiculturalism, 2011)。多文化主義は複数の文化の共存を支持するが、民族間の文化的差異を強調した結果、理論的課題は多文化統合や団結ではなく、社会的結束力を弱める方向、つまり分離と分裂にある。新自由主義的な多文化主義の思想は、すでに特権を与えられている人々と、社会から疎外され、力を奪われている人々との間のアクセスと機会の格差を、改善するどころか、むしろ定着させてきたのである(May & Sleeter, 2010, p.2)。

新自由主義的な多文化主義の本質は、主に、民族的、文化的、言語的な違いを認識し、尊重することに重点を置いている(May & Sleeter, 2010, p.4)。こういった、しばしば文化の相対性や社会的構造への批判を避け、むしろ個々の権利や選択の自由を強調した多文化主義は、差別構造の変革に向けた実践を伴っていないだけでなく、差異をめぐる新たな包摂と排除の力学を作動させて、受け入れやすい差異を選別化して管理する手法と結びついている(岩渕, 2021, p,14)。こう言った視点から、実際の不平等や差別を解決するための根本的な変革が必要だとの批判が出てきた。むしろトロイナ(Troyna, 1993)は、リベラルな多文化主義は、救いようのないほど「非人種的」な言説を構成しており、文化や文化的差異を再認識するアプローチであり、人種差別や不利な立場にある人々、そして関連する形態の差別や不平等といった物質的な問題に、まったくと言っていいほど適切に対処していない、と主張した。またメイとスリーター(May & Sleeter, 2010, p.4)は、教育という視点から、リベラルな多文化主義に基づいた教育は実施しやすいかもしれないが、それは不平等を支え、文化的相互作用を制限している不平等で、しばしば整然としない力関係に対する認識を、どんなに良かれと思っても放棄しているからにほかならないのだ、と強い批判の意思を示している。あるいは、ガットマン(Gutmann, 2004, p.71)は、多文化民主主義と教育についての議論の中で、「個人は、性別、人種、民族、......宗教に関係なく、平等な市民として扱われ、互いに接するべきである」と主張しているが、すべての人を「平等な市民」という枠でくくることは、物質的な不平等から注意をそらし、また人々を何よりもまず個人という枠でくくることは、集団間の力関係から注意をそらすことになってしまうことに他ならない(May & Sleeter, 2010, p.5.)。したがって、物質的な不平等を本質化すると同時に非政治化する(個々のモノとして扱うと同時に、より広範な社会的・政治的文脈を無視する)ようなリベラルな多文化主義的な教育方法は、本質的に限界がある(May & Sleeter, 2010, p.6)。そうして、批判的多文化主義のアプローチは、こういった批判に応える形で多文化主義をより深い社会の構造や権力関係と結び付けて、社会の不平等や差別に根本的な解決策を提供することを目指す立場として構築されたのである。

こういった従来の多文化主義に対する論争を経て構築された批判的多文化主義は、メイとスリーター(May, 2003; May & Sleeter, 2010)の定義によると以下の特徴が挙げられる。

1.民族性と文化の役割を認識するが、本質化しないこと:
人々のアイデンティティ形成において民族性や文化の重要性を認めつつ、それらを一つの本質的な「モノ」として捉えないことを重要とする。つまり、民族性や文化は多様で変化するものであり、人々が自由に選択できるものではないという考え方である。
2.不均等な権力関係を認識すること:
社会には不平等な権力関係が存在し、個人や集団の選択肢がそれによって制約されることを理解することを重要とする。例えば、メディアの報道のされ方によって、私たちが得る情報や知覚の仕方が左右されていることである。つまり、社会において特定の民族や文化が支配的であり、他の民族や文化がその影響を受けることがあるということで、この理解は従来のリベラルな多文化主義と大きく異なる点である。
3.文化的知識の疎外や誤解を認識すること:
社会では特定の文化的な知識が重視され、他の文化的な知識が軽視される、又は誤って表現されることがあり、批判的多文化主義では、これらを認識する。
4.自己の発言の立場の社会的な位置づけと仮定性を認識すること:
自分の意見や発言が社会的な立場や状況によって影響を受けることを理解することを重要とする。つまり、人間の主体とは単一的で永続的なものではなく、さまざまな言説によって、複雑で必ずしも安定しない形で刻み込まれている(Locke, 2010, p.89)。

ではこの文脈から、批判的多文化主義的な外国語教育とは何であろうか。言語という視点で考える時、社会的不平等の根源となるのは、ある場所において特定の言語が支配的であり、他の言語が抑圧されることである。この問題を前にして、多文化主義の理論と実践を統合し、社会的正義や平等を促進することを目指すために求められる外国語教育のアプローチとして、ロッケ(Locke, 2010)が述べる次の5つの要件を解釈すると、以下の通りである。

1.個人やグループのアイデンティティ形成におけるテキスト実践の複雑な役割を認識すること。例えば、授業で生徒たちが自身の文化や経験に基づいて作成した作文や物語を共有し、それを通じて個々のアイデンティティがどのように形成されるかを探求することができる。
2.プログラム資料の選択、授業内で育まれる対話スタイル、学習活動の設計に関連して、文化的な差異と文化的な選好を積極的に認識すること。例えば、異なる文化をもとにした絵画や詩を取り入れ、クラス内で生徒同士がそれぞれの文化的視点から意見を交換することが実践的となりうる。
3.テキスト実践を育むことで、広い社会におけるテキストと権力、不平等、不正義、疎外、誤解を関連づけること。例えば、社会問題に関する記事やエッセイを読むことで、それぞれのテキストがどのように権力関係や社会的不平等を反映しているかを考察することができる。
4.言語的および文化的なリソースを欠点ではなく利点として深い尊重を示し、すべての言語遺産を外国語学習の場に歓迎し、これらの遺産の知識を全ての学生の言語理解を高めるものと見なすこと。例えば、生徒が母国語や地域言語を使って作成した文学作品を共有し、それを通じて言語的多様性を尊重することができる。
5.クラスルーム単位で採用された教育実践に基づく評価戦略を使用し、文化的および言語的な差異を消去する一般的なテストを避けること。例えば、生徒の作文やプレゼンテーションを評価する際に、彼らの個々の成長や理解度を考慮し、標準化されたテストでは捉えきれない多様な言語的能力や文化的背景を評価することが重要である。

外国語教育は、言語的、人種的、文化的、階級的な差異が出会う教育的空間に位置している者であり、そのことから、個人が新しい言語とそれを取り巻く文化を学ぶことは、その人が多様性にさらされ、新しい文化的視点を得ることを意味している(Kubota, 2010)。したがって、外国語教育は多文化主義と本質的に併せて研究されることが多いのであるが、一方で批判的な研究も見られる。例えば、久保田(Kubota, 2010)は、外国語教育における多様性への一般的なアプローチは、批判的多文化主義が発展しつつもなお、多文化主義のリベラルな形態を反映していることが多く、表面的な形の多元主義を推進し、色や違いへの盲目的な見方を強化し、権力や特権の問題をあいまいにしたまま、他者の文化をエキゾチックに本質化するものである、と指摘している。例えば、移民が移住先言語を学習するシーンを想像しよう。移住先言語教育の場は、移民の母国語の遺産を維持することなく、単言語の移住先言語を話すコミュニティに同化させてしまうことが多い。このような場合は、外国語教育の場では、リベラルな多文化主義の立場を意図せずとも選択し、単言語主義を支持している(Kubota, 2010, p.99)。また、言語教育を通した文化指導の際、人種、民族、社会階級、宗教等のアイデンティティの面で、外国語教育の場は移住先国家での支配的な集団に焦点を当てる傾向がある。この場合は、単一文化主義を助長している(Kubota, 2010, p.99)。

更に、久保田(Kubota, 2010, p.99)は、外国語教育とはエリート主義的な活動であり、裕福な学区でしか学べないことが多い、と指摘をしているが、この論文で取り上げているデンマークでは、学歴や収入にとらわれず、全ての移民に無料で開講された(むしろ受講することを推奨されている)デンマーク語講座がある。また、デンマーク国民向けの外国語教育は、義務教育の段階で、英語を含むいくつかの外国語教育が義務付けられている。よって、この指摘は否定することができる。

このように、外国語教育における人種的、文化的、言語的不平等や本質主義に関する多くの疑問は、全ての個人や文脈に当てはまる単純な答えを持たないことが多く、よって、どういった言語教育が批判的多文化主義を導くのかは、状況次第であることもある(Kubota, 2010)。しかし、このような問題に取り組まないことは、少数派である移民の辛い経験や感情、覇権的な集団を優遇する社会構造、支配的な集団の世界観に染まった価値観を永続させることを意味している(Kubota, 2010)。また、エルウッド(Ellwood, 2009)は、質問に対する明確な答えがないという意味不明で不安定なこの教育学的空間を受け入れる必要があることを指摘している。批判的多文化主義的な外国語教育とは、流動的なアイデンティティを持った教師と学習者が、行為やアイデンティティを交渉し、状況に応じた倫理観をもって社会正義のための教育や学習に取り組むことが求められる継続的なプロセスなのである (Kubota, 2010)。

2.2 デンマークの労働市場における使用言語を取り巻く議論

今日、多くの職場は国家、社会文化、言語の境界を超えて、国際的な事業の拡大が著しく見られ、国際的に発展している企業の従業員は海外に駐在することもある(Lønsmann & Mortensen, 2018)。こういった多国籍な職場における使用言語は、リングワ・フランカである英語が推奨される場合が多い。ハバーランド(Haberland, 2009)は、英語はグローバリズムの言語となり、国際的なコミュニケーションにおいて「自然な」言語と見なされるようになってきたと指摘する。したがって、多くの多国籍企業は、会社全体に適用する言語ポリシーを設けている。ロスマンとモーテンセン(Lønsmann & Mortensen, 2018)によれば、デンマークの労働市場の場合、国際的な意向を持つ企業の多くで、英語が社内共通語として指定されている。更に、彼らは、従業員のほとんどがデンマーク語を話すデンマーク人である職場であっても、英語スキルが問われ、更に英語スキルが仕事や責任に直接影響する可能性が存在していることを指摘している。つまり、英語は 富と貧困の分断線を象徴するとシプリアンノバら(Ciprianova & Vanco, 2010, p.126)が述べているように、デンマークの企業では、英語を「受け入れる」意欲が「グローバルな考え方」の指標として見られるようになっており、更には、この意欲が企業への忠誠心を示す指標にもなっていると指摘している。こういった意味で、英語は覇権主義的であり、敵味方に関係なく受け入れられているイデオロギー化された「常識」の一部であり、それゆえに疑問を呈しにくい言語となっている(Lønsmann & Mortensen, 2018, p.438)。このようにデンマークでは、英語の商品化への批判的議論があり、国際的に事業を拡大したい職場の多くで英語の使用が推奨されている現実に対して、デンマークにおける公用語はデンマーク語であるため、英語能力の高さがキャリアの構築の尺度になるべきではない、という保守的な研究も見られる(Lønsmann & Mortensen, 2018)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?