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豊かな彩色に魅了されて ほっと一息を、九谷焼で。

工芸好きの旅人、はるかです☺

気分を変えたいとき、どんなことをしますか?
個人的には飲みものを飲むことをおすすめしてます!(笑)

九谷焼は、明るい色味のものが多いので、気分が華やぎます。
今回は、九谷焼の歴史とその魅力についてまとめてみました。


石川県でうまれた鮮やかな工芸品。

細やかな絵付け。

九谷焼がつくられているのは、石川県南部加賀市・金沢市・小松市・能美氏市です。

名前の由来は、陶石が発見された村なんだとか。
体験施設もあるらしい👇

「呉須(ごす)」と呼ばれる藍青色で線描きし、「五彩」と呼ばれる赤、黄、緑、紫、紺青の五色の絵の具を厚く盛り上げて塗る技法によって、あざやかな色合いが生み出されます。

古九谷からジャパンクタニまで、九谷焼の歴史をふりかえる。

①古九谷(佐賀へ)

九谷焼の歴史は、江戸時代初期ごろ。

茶人としても知られる加賀支藩・大聖寺藩初代藩主、
前田利治によって奨励されます。

前田利治は藩士の後藤才次郎を備前有田(佐賀県)へ技能習得のために派遣。その後、九谷に窯を開くが、わずか40~50年ほどで閉鎖されました。
この時期に製造された九谷焼は「古九谷(こくたに)」と呼ばれ、今も多くのファンの心をとらえ、珍重されています。

特徴
・豪快で力強い骨描き(彩色前に墨で輪郭線を引くこと)
・「柿右衛門」「鍋島」などと並ぶ美術品として高く評価されている。

②再興九谷(京都から)

突然の九谷窯の閉鎖から約100年のち、加賀藩は陶工・文人画家の青木木米(もくべい)を京都から招待。金沢に春日山窯を開きました。これを契機に小野窯、吉田屋窯など数々の窯が作られ、九谷焼は再興します。

③明治以降、ジャパンクタニ

小野窯の九谷庄三による彩色金襴手(さいしょくきんらんで)という絵付技法が出てきます。「庄三風」と呼ばれ、人気に。
ウィーン万博にも出品され「ジャパンクタニ」として世界へと広がっていきました🗻

九谷焼の特徴

九谷焼の特徴は、
「上絵付け」による色絵技法のバリエーションの多さ!

(上絵付けとは、本焼きした陶磁器の釉薬(ゆうやく)の上に顔料で文様を描く技法です。九谷焼のほかにも有田焼に使われています。)

絵柄は、山水、花鳥などさまざま。
吉田屋窯、宮本屋窯、小野窯など、窯ごとに特色のあるものがつくられてきました。

九谷焼の代表的な作風を紹介します。

  • 古九谷
    狩野派の名匠・久隅守景の指導を受けたといわれる、赤、青、黄、紫、紺青の五彩を用いた技法。大胆な構図と男性的な画風が特徴です。

  • 木米
    京都の文人画家・青木木米の指導により、全面に赤を施し、主に五彩を使って中国風の人物を描き込んだ画風です。

  • 吉田屋
    赤を使わず、青、黄、紫、紺青の四彩を用いた絵柄が特徴。模様や小紋などで隙間なく、磁器全面を埋め尽くすような絵付けを施す技法を用いています。吉田屋伝右衛門が青手古九谷の塗り埋め様式を再興したものです。

  • 飯田屋
    赤で綿密に人物を描き、まわりを小紋などで埋め尽くし、ところどころに金彩が施された画風。飯田屋八郎右衛門により完成された技法で、「九谷赤絵」はこの画風から始まったとされます。

  • 庄三
    古九谷・吉田屋・赤絵・金襴手のすべての手法を取り入れた、彩色金襴の様式。九谷庄三が確立。明治以降、産業久谷の主流となりました。

  • 永楽
    永楽和全による京焼金欄手手法。赤で下塗り後、その上に金で彩色するのが特徴です。

進化し続ける九谷焼の魅力

「九谷焼」は芸術品としても海外で高く評価されています。

現代では、人間国宝 吉田美統(よしたみのり)の「釉裏金彩(ゆうりきんさい)」や人間国宝 三代德田八十吉(故人)の「彩釉(さいゆう)」、仲田錦玉の「青粒(あおちぶ)」といった新しい作風や表現方法により、モダンで優美な九谷焼が生み出されているんだとか。

伝統を礎にしつつも常に進化を続ける九谷焼は、日本のみならず世界中の人々を魅了し続けています。

参考にしたのは以下の記事です。

日本工芸スタッフ。日本の伝統工芸に魅了され、その美しさや技術に感動する日々。旅行が大好きで、新たな文化や素敵なものに触れることが大好きです。このnoteでは、日本の工芸文化や旅先での出会いを通じて感じたことや、見つけた情報をシェアしていきます。一緒に工芸品の魅力に迫りましょう!

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